
『玉の輿』は今は死語でしょうか?
今もあるのでしょうか?
昔の人は、子供が幸せになって欲しいと、こうやって、色々探したのでしょうか?
この『ねずみの嫁入り』のお話は、娘のために親が走り回るはなしです。
そして、何が一番りっぱか探すはなしです。
では、ねずみの嫁入りのあらすじを見ていきます。
ねずみの嫁入りのあらすじ
むかし、大きな蔵にねずみの夫婦が住んでいました。
夫婦には子供がいなかったので、神様におねがいして、とてもかわいい女の子がうまれたのです。
女の子は隣の年の近い男の子と仲良く遊んで大きくなりました。
夫婦は大事な娘に一番りっぱなおむこさんを探します。
夫婦は、いつも空でみんなを照らしてくれるお日様に頼みに行くことにします。
「お日様、あなたは世界でいちばん立派です。娘と結婚してください。」
すると、お日様は、「いいとも、私は世界で一番えらいんだ。」といいます。
しかし、お日様が言ったとたん、雲が出てきて、お日様をかくしたのです。
「私よりえらい奴がいたよ。雲だよ。」
お日様がそういうと、雲は、「そうとも!世界でいちばんりっぱなのは俺だ!」といいました。
ですので、ねずみの夫婦は、雲に、「世界で一番えらい雲さん、うちのむすめと結婚してください。」といいました。
すると、雲は言うのです。
「世界で一番えらいおれ様がなんで、ねずみと結婚しなくちゃならないんだい?」
その時、強い風が吹いてきました。
すると、雲は、「世界でいちばん偉いのは、雲を吹き飛ばす風だよ。」と言って、さっさと逃げてしまいます。
ですから、ねずみの夫婦は、風を追っかけます。
そして、「世界でいちばんえらい風さん、どうか、うちの娘と結婚してください。」と風にいいました。
すると、風は「私はそんなにえらくないよ。」と言ったのです。
ねずみの夫婦は、風がちっともえばらないので、ますます気に入って、追いかけるのです。
すると、風は、「私より、えらい奴がみつかった!」と叫びます。
「あのかべは私がいくら吹いてもびくともしない。かべさんこそ、世界で一番えらいんだ。」
夫婦はなるほどな、と思い「かべさん、かべさん、」と声をかけます。
実はそのかべは、自分たちが住んでいた、くらのかべでした。
ねずみの夫婦は、「風よりりっぱなかべさん、どうか、むすめと結婚してください。」と言うのです。
すると、かべは言います。
「あなたたちねずみには、かなわないよ。どんなあつい壁も、ねずみにかじられて、あなだらけだよ。」
そして、ねずみの夫婦は、「ねずみが、世界で一番つよいんだな」と思います。
ですので、ねずみの娘は、おとなりの仲良しのねずみの息子と結婚することになりました。
おしまい。
ねずみの嫁入りの教訓
このお話の教訓は、物や人の優劣は簡単に決められるものではないということです。
周りから見て、立派に見える人でも、すべてにおいて、一番か?と言われれば、完全ではなくて、苦手な事では人に負ける事もあって、反対に、周りから見て、目立った人でなくても、得意なことでは、誰にも負けない事があるという事です。
誰が立派か?誰がえらいか?は決められる事ではなくて、人それぞれ、秀でた所があり、苦手な事もあるという事です。
例えば、ライオンは、私たちのように、頭をつかって、道具を使ったり話したりできませんが、戦えば完全にライオンの方が力がつよいのです。
比べようもない事なのですが、何事にも簡単に優劣はつけられないということです。
このお話では、お日様から順番に、尋ねていきますが、それぞれに、苦手で勝てない相手があり、結局は、自分たち、ねずみがえらいという事になります。
自分たちが一番えらいという事は、自分が、他の人とは違ってただ1つの存在であるという事が書かれているのでしょう。
そこで、思い出したのですが、知り合いのおじさんがよく言っていたのが、小学校の時、運動会のかけっこで、一番になると、鉛筆とかノートをもらえたということでした。
私の時代にはそんなことはすでになかったのです。
それどころか、私の子供の小学校で運動会は、赤と白に分かれて点数で競うので、徒競走も何人かずつ走らせて、一等が赤だったか白だったか、先生がチェックしておいて、特に一等だった子を並ばせたりしないで、最後に得点を発表するというやり方でした。
5人位ずつ走るのですが、個人は関係なく、赤白で判定するので、誰が一等かをわかりにくくしているみたいです。
その方が、早い子遅い子が、わかりにくいからでしょう。
勉強以外で競争させることはあまり良い事ではないという考え方なのでしょうか?
その知り合いのおじさんによると、「勉強の得意な子がいれば、かけっこが得意な子がいる。そんなことをしたら、体育が得意な子の活躍の場所がなくなる。」だそうです。
それぞれ、得意なことがあって、自分が唯一他にはいない存在だという事を認識しにくい時代になってきているのかもしれません。
それから、どんな目的で、誰のために選ぶかです。
目的をはっきりさせないと、ただ、こっちがえらい、こっちが立派と走り回るだけになってしまいます。
この夫婦の目的は、立派な人と結婚させる事だったのですがもともとは、娘に幸せになって欲しいという思いで、婿探しをはじめたのです。
でも、それは、娘の希望には合っていなくて、最終的に相手がねずみで、あまり違いすぎる人ではなくて、良かったのでしょう。
あまりに立場が違いすぎる人は、どちらかが気を遣う事になります。
旦那様が、家の跡取だから大事にされる事など、昔はそういう時代もあったかもしれませんが、今はそれでは、どちらかが疲れてしまって、夫婦を続けるのは難しい事もあるでしょう。
お互いが尊敬しあえるのが一番いいのではないでしょうか?
そして、普段から身近でよく知っている人の方が、信頼できるという事です。
このお話では最後には、娘が良く知っている隣の息子と幸せに暮らします。
例えば、どうしても、一時的に子供を預けなければいけないときに、育児のエキスパートや、ベビーシッターさんを頼むのはお金をだせば、気も遣わずいいのですが、近所の友達などの方が、普段から子供の事をよくわかってくれているので、安心だったりするのです。
ねずみの嫁入りの原作
日本の昔話です。
しかし、イソップのお話の中にも、似たお話があります。
日本では、『日本昔話通観』でも紹介されている。
でも、世界各国に、強い物、さらにそれより強い物で、まわるお話がある。
主人公は、もぐらや、人など、さまざまです。
まとめ
ねずみの嫁入り教訓は、物や人の優劣は簡単に決められるものではないということです。
子供が幸せになって欲しいのはどの親もいっしょだと思いますが、最後には、子供がどんな人生を生きたいか?という事だと思います。
子供が大きくなってしまうと、親は、見守るしかないですね。