
誰かを独り占めしたいと、思った事はありますか?
大好きな人を独り占めしたいと思った事は誰にでもあるのではないでしょうか?
でも、今回は、そんな思いから来る困った行動に、焦点を当てたいとおもいます。
意外に私の周りには経験している人も多く、度合いにもよりますが、エスカレートすると、少し怖いです。
では、そんな困った行動と、人気のある有名な童話のお話をしていきたいと思います。
ここからは、『ラプンツェル』のあらすじからみていきます。
ラプンツェルのあらすじ
魔女の庭
昔、魔女の立派な畑のとなりに夫婦が住んでいました。
そして、その奥さんはお腹に子供を授かったのです。
すると、奥さんは、魔女の畑に生えているラプンツェルが食べたくなりますが、とても我慢をして、げっそりしてしまったのです。
ですので、だんなさんは、魔女の畑に入り、ラプンツェルを一株持って帰ります。
すると、奥さんは、とても喜んでたべるのです。
しかし、もう一度畑に入った時に、恐ろしい魔女に見つかってしまい、「好きなだけ持っていけ。その代り、生まれた子を私が頂くよ。」と言います。
だから、だんなさんは、仕方なくうなずいたのです。
美しいラプンツェル
それから、女の子がうまれると、魔女がやって来て、連れて行ってしまいます。
そして、その女の子はラプンツェルと名付けられ、美しい金髪を持った娘にそだちました。
ところが、ラプンツェルが12歳になった時、魔女はラプンツェルを階段も出入口もない塔に閉じ込めてしまうのです。
魔女がやってきた時はラプンツェルに声をかけ、髪を垂らしてもらい、それをつたって登ってきます。
それから、何年か過ぎ、この国の王子が塔の近くを通りかかります。
すると、美しい歌声が聞こえ、王子さまは、胸をときめかせます。
それから、王子さまは毎日森に出かけて、歌声を聞いていたのです。
すると、ある日魔女がやって来て、塔に登るのを見かけます。
王子さまはそれを見て、夜になってから、塔の下から呼びかけると、すぐに黄金色の髪が下りてきました。
王子さまはその髪につかまって登って来たのです。
ラプンツェルはとても驚きました。
そして、王子さまは、ラプンツェルの美しさに、見とれ求婚しました。
ラプンツェルは最初は怖かったのですが、王子さまのやさしさと、真剣さに、心をうたれます。
離れ離れの2人
王子さまは毎晩、ラプンツェルの所に通ってきましたが、魔女は昼間にしかやってこないので、王子さまのことは気がつかなかったのです。
でも、ラプンツェルはつい、口を滑らせて、王子さまの事を言ってしまいます。
魔女は、「あたしを、だましたな!」と言い、ラプンツェルの髪を切ってしまったのです。
それから、ラプンツェルを、遠い所に、置き去りにしてしまいました。
その後、魔女は、ラプンツェルの長い髪を、窓にひっかけて、王子さまを待ちます。
そこへ、王子さまがいつも通りやって来て、上まで登ると、待っていたのはラプンツェルではなくて、魔女でした。
そして、魔女は「お前さんはもう二度と、ラプンツェルを見る事はないよ。」と言うのです。
これを聞いた王子さまは、のぞみを失い、塔から飛び降り、いばらが目に刺さり、何も見えなくなってしまいます。
そして、目の見えない王子さまは、悲しみで泣きながら森をさまようのです。
何年もすぎ、さまよい続けていた王子さまは、子供の声と、かわいい歌声を聞きます。
王子さまは、必死で、歌声をたよりに、歩いていきました。
すると、そこには、ラプンツェルが、王子さまとの間にできた双子の子供を育てながら、何とか生きていたのです。
2人は抱き合って喜びます。
そして、ラプンツェルの涙が、王子さまの目を濡らしました。
すると、棘が抜けて、王子さまの目は、元通り見えるようになったのです。
それから、王子さまはラプンツェルと子供たちを連れて、国に戻ります。
国のみんなは、それはそれは、喜びました。
おしまい。
さて、このハッピーエンドのお話の教訓は、何でしょう?
ラプンツェルの教訓
このお話の教訓は、束縛は意味がなく、その関係は多くの場合、壊れてしまう。ということです。
束縛はよくある話ですが、反対に、離れたいという考えを引き起こし、なんの意味もないのです。
このお話では、魔女は、誰も入る事の出来ない塔に、ラプンツェルをかくしてしまいます。
そして、社会との関わりをすべて、できなくしてしまうのです。
ですが、王子さまにラプンツェルを奪われて、ラプンツェルに、自分をだましたといいます。
束縛は、束縛する人にとって、どんな意味があるのでしょうか?
例えば、彼女を束縛する彼氏は、彼女が今何をしているか、知っていることに、安心します。
他の男の人と、仲良くしていないか、自分がそのうちに、捨てられるのじゃないかと、心配で仕方ないのです。
自分が束縛してしまって、その事を、彼女は良く思っていないのはわかっています。
だから、彼女に嫌われないか、心配で、余計に束縛してしまいます。
悪循環です。
理由がわかっているのにやめられない事は、簡単には治りません。
周りの人が余計な口を挟むのは、しかられるかもしれません。
でも例えば、親しい人が誰かを束縛したくて困っているなら、私は言うと思います。
「いずれ、離れて行くものは離れて行きますし、人の気持ちは無理やり変えられるものではないので、そんな事はさっさとやめましょう。」
それから、束縛されることは、余計に他の世界に興味を持ってしまうということです。
何でもそうですが、人間は見るなと言われたら、見たいし、知らなくていいと言われたら知りたいのです。
束縛されることで、余計に束縛されない生活へのあこがれや、外の人への興味がわきます。
他の男の人と遊ぶなと言われれば言われる程、そこに何か今はない楽しい物がある気がして、魅力を感じるのです。
それに、例えば、舌きり雀のお話しで、大きなつづらを、帰るまで開けるなと言われたおばあさんは、つい開けたくなって、開けてしまって、大変な怖い目にあいます。
どうしても、人間は、ダメと言われたら、やってしまうようにできているのです。
そしてもうひとつ、魔女はこのラプンツェルをどうしようと思ったのでしょうか?
塔に閉じ込めて、社会から隔離して、そのまま育て、自分の偏った考え方を教え、自分の跡取にするつもりだったのでしょうか?
例えば、隣の家にうまれた女の子をひとり占めせず、時々、行き来する仲になっていたら、もしかして、隣のやさしいおばあさんでいられたかもしれません。
でも、それは無理だったのでしょう。
自分は魔女なのです。
誰が決めたか、職業だか、見た目なのか、魔法を使うからか、周りから見たら、怖い魔女なのです。
両親と一緒に育てば、確実に自分の事を、魔女だと教えるし、自分の所に遊びにこさせたりしないでしょう。
だから、世間の自分の事を知っている人たちから離して、育てたかったのです。
そうしてやっと、じぶんは、ただのおばあさんになれたのです。
実際にラプンツェルは魔女の事を、おばあさんと呼んでいます。
そして、このお話の出来事のあと、更に、女の子を奪って塔に閉じ込めて、最後には、遠くに捨てたひどい魔女という風に言われるでしょう。
子供が欲しかったか、寂しくて、話し相手が欲しかっただけなのかもしれません。
魔女の実態が、わからないので、かわいそうともいえないです。
けれども、魔女になった魔女が悪いのか、魔女に生まれた事が悪いのか、不幸な話です。
魔女が出てくる童話はありますが、魔女の生活に焦点をあてた、お話はあまりありません。
お話しに出てくる悪い人は男も女も魔女という表現が無難だったのでしょうか?
ラプンツェルの原作
グリム兄弟=ヤーコプとヴィルヘルムが書いた『グリム童話』に収録されている。
初版は、ラプンツェルの妊娠が発覚して、追い出されるお話しでした。
しかし、童話集という性質上、主にヴィルヘルムがなるべく性描写がすくなくなるよう改筆した。
近年では、ディズニーが、『塔の上のラプンツェル』という題で、映画化しました。
まとめ
この『ラプンツェル』の教訓は、束縛することは、その人の自己満足で、返って離れたいという気持ちを生み、なんの意味もないという事です。
王子さまは、ラプンツェルがいなくなって絶望して、身を投げ、さまよいますが、ラプンツェルはその間も生きて、子供を育てるために頑張っていました。
なんだか、ラプンツェルが、たくましくてすごいと思いました。