
家事と育児、仕事のバランスに悩んでいませんか?
なんとか毎日こなしてはいても、無理していると、そのうちにどこかに支障がでてきます。
体の無理もそうですが、精神的な無理をしていると、大変な事になります。
こんな、精神的な負担をなんとか少しでも、減らせないでしょうか?
この『鶴の恩返し』のお話は、してあげたいけれども、実際にしてあげる事は大変な負担がかかるという娘の切実な思いが書かれています。
それでは、『鶴の恩返し』のあらすじから、見ていくことにしましょう
鶴の恩返しのあらすじ
怪我をした鶴
むかし、ある村に、働き者の若者がいました。
仕事を終えて、山から降りてくると、羽根の付け根に矢が刺さった鶴が苦しそうにもがいているのを見つけます。
わかものは、ていねいに手当てをしてやり、はなしてやります。
すると、鶴は、鳴きながら、山の向こうへ飛んでいきました。
そして、何日かたった夜、わかものの家に若い娘がやってきます。
すると、娘は「道に迷ってしまったので、どうか、一晩とめてください。」というのです。
わかものは、娘を座らせて、自分の粗末な食事を勧めると、娘は、自分の食べ物を出し、料理を作ってくれたのです。
ところが、それから何日も、大雪で、出かけられませんでした。
そうすると、娘は少ない食べ物で、料理を上手に作ります。
はたを織る娘
やっと、雪がやみました。
しかし、娘がずっとここにいたいと言うので、一緒に暮らしはじめたのです。
ある日、娘は「はたおり小屋を作って下さい。」と頼みます。
小屋をたててあげると、「決して、のぞかないでくださいね。」と言って、わかものが町で買ってきた糸を持って小屋にはいります。
そして、娘が3日間小屋にこもって織った布は真っ白で光る布です。
それからわかものは、娘の言う通り町に行って布を売ると、大変高く売れたのです。
家に帰ると、娘は「のぞいてはダメですよ」といい、また小屋にはいっていきました。
次におりあがった布は、お殿様が、大変な金額でかってくれて、「次はもっと、金を出すぞ。」と言います。
わかものは、いいくらしが出来ると考えて、うれしくてたまりません。
「では、もう一度だけですよ。」
そう言って娘は小屋にこもってはたをおり始めます。
しかし、娘はひどくやせて、やつれているように見えました。
わかものは小屋の前に行き、「もう、おるのをやめてくれ!」と頼みます。
しかし、娘は返事をしなかったので、わかものはとうとう約束を忘れて小屋をのぞいてしまったのです。
すると、そこにいたのは一羽の鶴でした。
つるが、自分の白い羽根を抜いて、布をおっています。
「私は、いつか助けて頂いたつるです。ご恩返しに来ました。」
「でも、鶴の姿を見られたら一緒にはいられません。」
わかものは「ゆるしてくれ、どうか、一緒にいてくれ。」と頼みます。
しかし、娘は悲しそうに首を横に振り、飛んで行ってしまいました。
おしまい。
とても悲しい結末のお話ですが、教訓はどんなことでしょう。
鶴の恩返しの教訓
このお話の教訓は、慣れというのは、時には、大事な事を忘れてしまう原因になるということです。
そして、無理をして、人のために何かをしてあげても、長くは続かないという事です。
この娘は、自分の身を削って、わかものに恩返しをします。
鶴は、命を助けてもらって、これくらいの恩を返すのは当然と思っていますが、
例えば、このままわかものが、のぞくことをしないで、織り続けられたとしても、すぐに限界がきたのです。
そして、布を織ることができなくなった娘はずっと、わかものとくらすことになります。
いくら優しく、性格のいいわかものでも、いっしょに住む娘に、家の事をするのがあたりまえと思って、感謝の気持ちを忘れてしまうのではないでしょうか?
その前に、美しい布を織って、お金を手に入れさせてくれた恩など、数年で忘れてしまうのです。
そして、もしかしたら、働かない事になれてしまうのでは、ないでしょうか?
それだけ、日常や、慣れというのは、考えようによっては、良い事もあれば、悪い事もあります。
例えば、ある男が、1人でくらしていて、日々の家事もなかなか苦労をしていて、食事などは、いつも同じようなものを買って来て、なんとなく済ませてしまっている状態だとします。
そして、彼女が家に来て、おいしいご飯をつくってくれて、掃除や洗濯もやってくれたとします。
すると、男は、こんなにありがたい事はないと、とても感激し、よろこびます。
ですが、その彼女と一緒にくらして、毎日ご飯を作ってもらって、家事をしてもらっていると、1人で暮らしていた時の苦労も段々と忘れてしまうのです。
そして、その状態が日常になり、当たり前になってしまいます。
感謝の気持ちも何も感じなくなってしまうのです。
そして、ここにもうひとつ問題があります。
彼女は、家事も炊事も大好きで、楽しんでやっているのなら、問題はないのです。
でも、例えば、最初はその男が喜ぶからと、好きでもない家事を自分の時間をやりくりして、無理をしていたとします。
すると、そのうちに、男は、彼女が無理してやっていることに気がつきませんから、感謝や気遣いもなく、ただ、日常になってしまうのです。
そして、最後には彼女にも限界がやってくるでしょう。
人のために自分のことを犠牲にすることには限界があります。
そうならないためには、誰も無理しない事が一番いいのですが、毎日続くことは、誰かがしなければならないのです。
定期的に話し合って、負担が誰かにかかりすぎていないか調整したり、お互いが、感謝の気持ちを持つことはとても大切な事です。
特に家事は生きている限り、毎日続くことで、やってもやっても終わりがありません。
それから、見たい、知りたいというのは、抑えられない欲で、見ないでと言われると、余計に見たくなるのは仕方のないことです。
対象が興味のあるものなら、なおさらです。
わかものは大変後悔しますが、結果的にはよかったのかもしれません。
ずっと、内緒にしていると、後々、わかものが教えてもらえなかった事に納得がいかなかったかもしれません。
自分がかかわっていることを教えてもらえないと、我慢が出来ずに、不安に思い、段々と不満がたまってしまう事はよくあります。
近い存在の人の事では余計に納得がいかないことが多いでしょう。
何かをずっと、内緒にしているのは、大変むずかしい事です。
さて、このお話はどういう風に生まれたのでしょうか?
鶴の恩返しの原作
日本の民話です。
動物が、助けてくれた人間に恩を返すおはなしで、他に似たお話がたくさんあります。
一説には、中国の唐のお話「かくしょうほう物語(孝子とつる)」という老婆と息子とその嫁の話が元になっていると言われる。
ほとんどが、わかものが鶴を助けることから始まっています。
ですが、登場人物、結末など、様々な形で語り継がれている。
まとめ
『鶴の恩返し』教訓は無理をして、人のために何かをしてあげる事は、長くは続かないという事です。
私の理想の家事は、
● 自分の事は自分でする。
● 出来る人がする。
です。