
ギョッとする題名の童話です。
目の数の違うきょうだいのお話です。
そして人間の複雑な感情が入り混じったお話でもあります。
一体何を伝える為に作ったお話なのでしょうか?
それではここからは1つ目、2つ目、3つ目のあらすじです。
1つ目、2つ目、3つ目のあらすじ
むかし、ひとりの女の人に三人の娘がいました。
上の娘は1つ目という名前で、ひたいの真ん中に目が1つあります。
真ん中の娘は目は2つなので、2つ目と呼ばれています
末の娘は目が3つあるので、3つ目と呼ばれていたのです。
きょうだいやお母さんは2つ目の事を「目が2つなんてそこらのやつらと一緒でつまらない。おまえなんかうちの子じゃない。」と嫌がりました。
そして、みんなは2つ目に意地悪ばかりして、ぼろを着せて食べ物は残り物しか与えません。
ある時2つ目はヤギの番をさせられていたのですが、お腹がすいて座り込んで泣いてしまいます。
すると、女の人がやって来て、どうして泣いているのか聞いたのです。
ですから、2つ目は自分が他の人達と同じように目が2つだという事で兄弟やお母さんにいじめられて、ご飯も満足に与えられない事を女の人に話しました。
すると、女の人は「お前のやぎに『こやぎ、めぇーっと鳴いておぜんの支度!』と言ってごらん。」と言います。
そして、「そうすれば、ご馳走の乗ったテーブルが出てきて、欲しいだけご馳走を食べる事が出来る。それからお腹がいっぱいになったら、『こやぎ、めぇーっと鳴いておぜんをおさげ!』と言えば、おぜんは消えてなくなるよ。」というのです。
それから、女の人は去って行きました。
そこで、2つ目は、女の人に言われた通りに試してみます。
すると、素晴らしいご馳走が並んだおぜんがすぐに出て来たのです。
ですから、2つ目は短いお祈りを済ませてから、ご馳走を食べました。
そして、おなかがいっぱいになると、女の人の言った通りに唱えると、なにもかもなくなったのです。
2つ目はとても楽しくなりました。
それからは、うちでおかあさんやきょうだいがお皿に置いてくれる粗末な食事には手も付けなくなったのです。
最初のうちはおかあさんやきょうだいも気にしませんでしたが、そのうちに2つ目が何も食べなくなったのは、よそで何か食べているに違いないと、疑うようになります。
ですから、お母さんは1つ目に、2つ目と一緒にやぎを連れて野原に行って、2つ目が何か食べていないかしっかり見張るように言いつけました。
ですが、1つ目は野原に着くと、くたびれて眠ってしまいます。
2つ目は1つ目が眠っている間にやぎに向かって言葉を唱え、ご馳走を食べました。
そして、すっかり片付くと1つ目を起こして家に帰ります。
ですから、お母さんは今度は3つ目に、2つ目と一緒に野原に言って誰かが2つ目に食べ物を与えていないか見張るように言いつけたのです。
3つ目は久しぶりに遠くまで歩いたのでくたびれて眠ってしまいました。
ですから、2つ目はやぎにご馳走を出してもらい、たくさん食べます。
ところが、3つ目は眠っているふりをしていただけで、実はひたいにある3つ目の目をうっすらと開けてその様子を見ていたのです。
そして、家に帰った3つ目は、お母さんに野原で見たことをすべて話したのです。
お母さんは「お前が私たちよりもおいしい物を食べるなんて許せない。」と言って、ナイフでやぎの心臓を刺して殺してしまいました。
2つ目はそれを見て、とても悲しくなり、野原に行って1人で泣きます。
すると、あの不思議な女の人がやって来て泣いている理由を聞いたのです。
ですから2つ目はやぎが殺されてしまった事を伝えると、女の人は「姉さんたちに頼んでやぎのはらわたをもらいなさい。そしてそれを家の戸口の前に埋めなさい。そうすればあなたにも運がめぐってきますよ。」と言いました。
なので、2つ目はきょうだいに頼んでなんとかヤギのはらわたを手に入れて、家の前に埋めたのです。
そして次の日の朝戸口を出てみるとそこには素晴らしい木が生えていました。
なんとその木には銀の葉が茂り、金の実が成っていたのです。
お母さんは1つ目に木に登って金の実を取って来るように言いました。
1つ目は金のりんごをつかもうとしましたが、枝がするりと逃げてしまい、1つの実ももぎとることができません。
ですので、今度は3つ目が登って実をもぎとろうとしましたが、やはり1つも取る事ができなかったのです。
そこで2つ目が「今度は私が登ってみましょうか?」と言いました。
ですが、きょうだいは「2つ目がかい?出来る訳がない!」といいます。
しかし2つ目は木をスルスルと登って行って、金のりんごに手を伸ばすと向こうから手の中に入って来て、次から次へともぎ取る事ができました。
ですが、お母さんはたくさんとれた金のりんごを全部取り上げてしまったのです。
そして、金のりんごをもぎ取る事ができる2つ目の事をねたんで前よりももっといじめました。
ある日、きょうだい3人が木の近くにいる時に、立派な騎士がやってきます。
1つ目と3つ目は「2つ目、私たちに恥をかかさないでおくれ!さっさとこの中にかくれるんだよ!」と2つ目と金のりんごに急いで空きだるをかぶせてかくしました。
立派で素敵な騎士は馬を止めて、1つ目と3つ目に「この木は誰のものだ?ひと枝おってくれれば礼はなんなりと取らせるぞ!」というのです。
そこで、1つ目と3つ目は「この木は私たちの物です。」と言い、なんとか枝を折ろうとしましたが、枝も実も逃げてしまって折る事はできません。
ですから騎士は「この木はお前たちのものだと言うのに、枝も折れないのは奇妙なことではないか。」と言います。
なので、2つ目はたるの下から金のりんごを2つ、騎士の足元に転がしました。
騎士は驚いて、この実はどこから出て来たのか聞くと、1つ目と3つ目は「実は私たちにはもう一人きょうだいがいますが、そこらのありきたりの人間と同じで目が2つしかありませんから、とてもお目通りさせる事はできません。」と答えるのです。
けれども騎士は2つ目に会いたがって、「2つ目、出てまいれ!」と言うと、2つ目は安心してたるから出てきました。
騎士は2つ目が美しい事に驚き、「2つ目よ、私のために一枝折ってくれ。」というのです。
2つ目は言われた通り、銀の葉と金の実のついた枝を折って騎士に差し出しました。
騎士は2つ目に礼は何にするか聞くと、2つ目は「毎日辛いので、私を一緒に連れて行って、この暮らしから救い出して下さったらどんなに幸せでしょう。」と言うのです。
騎士は2つ目を馬に乗せて、自分の父親の城に連れて行き、そしてそののちに2人は結婚しました。
さて、1つ目と3つ目は幸せな2つ目がねたましくて仕方ありません。
その上、家の前の立派な木もなくなり、次の日には2つ目の住むお城に生えていました。
それから、長い間2つ目は幸せにくらしました。
そうするうちにすっかり落ちぶれて2つ目の住むお城に物乞いに来た1つ目と3つ目を、2つ目は優しく招き入れて親切に世話をしてやったのです。
ですから、1つ目と3つ目は若いときに2つ目をいじめた事を後悔しました。
おしまい。
1つ目2つ目3つ目の教訓
このお話の教訓は、ありきたりであるとか見た目が人と違う事は問題ではないという事です。
このお話では2つ目はありきたりだからときょうだいやおかあさんにいじめられました。
それは2つ目が自分たちと違うからいじめられたのでしょうか?
ですが、ここではお母さんも騎士も目がいくつあるのか書かれていません。
そして、1つ目と3つ目は騎士に「そこらのありきたりの人間と同じで目が2つしかありませんから、お目通りさせる事は出来ない」といいます。
この世界はありきたりである事が良くないのでしょうか?
1つ目や3つ目は特別だからいいのでしょうか?
2つ目はありきたりだからいけないのでしょうか?
そして、「騎士は2つ目がとても美しいので驚きました。」と書かれています。
実は2つ目が2つ目である事や、みんなと違う事が原因ではなくて、兄弟の中であまりに美しい為に妬まれていじめられていたのでしょうか?
結局はきっといじめていたきょうだいやお母さん達も本当はどうして2つ目をいじめているかわからないままいじめる事が日常になってしまっていたのではないでしょうか?
でも、2つ目はいじめられて辛い中でも健気に生きて行きます。
そして一方、お母さんはひどい人で、きょうだいの中で2つ目だけをいじめ、自分よりもおいしい物を食べてゆるせないからと大事なヤギもすぐに殺してしまうのです。
そう考えて行くと、この物語の中では、ありきたりかどうか、みんなと一緒かみんなと違うか、見た目が綺麗かどうかが重要なのではないという事なのかもしれません。
結局は人に意地悪をせず、心根が正直で優しい人が良いという事でしょう。
1つ目、2つ目、3つ目という見た目を題にしたお話ですが、実はそんな事は問題ではないですよという事なのでしょう。
そしてもう一つ、このお話を読んで考えた事なのですが、世の中の親は自分の子供は全部平等にかわいいと言いますが、実際には自分の子供であっても、親との相性もありますし性格の違いもあります。
そして実は親は自分の子はどの子も可愛いのには間違いはありませんが、それぞれに愛情の度合いの違いはあるかもしれません。
でも親はそんな事はないと言い切って、子供を育てなければなりません。
それに正直な所、見た目は問題ないと言いながら人は美しい物に大変惹かれます。
例えば、人の目は左右対称な物を美しいと感じる事が多いそうです。
そして、見慣れた物に安心感を抱くのです。
ですがその反面、ひとそれぞれ美しいと思う基準も違うし、好みも違うのです。
そして時には自分と似た者に惹かれたり、自分と全く違う者に惹かれたりします。
そう考えていくと、子供の事も見た目の事も、理想とは反対に人間には色々な感情やどうしようもない事が詰まっているようです。
1つ目、2つ目、3つ目の原作
ヤーコブとヴィルヘルムの兄弟により編纂された「グリム童話」に載せられました。
子どもは喜んで聞くお話のようですが、現代にはあまり歓迎されないお話かもしれません。
まとめ
1つ目、2つ目、3つ目の教訓は、ありきたりであるとか見た目が人と違う事は問題ではないという事です。
有名な漫画に「三つ目がとおる」というお話がありました。
主人公の男の子はひたいにある3つ目の目があります。
3つ目の目は特殊な力があるので普段は絆創膏でかくしてあります。
絆創膏で額の目をかくしている時の三つ目はなんだかボーっとしている男の子なのですが、絆創膏をはずした途端にきりっと表情が変わり、なんでも見透かす超能力を持つ男の子になるのです。
人は特殊な能力に惹かれる反面、怖がったりうとましく思ったりするものです。
人の感情というのは複雑です。