子育てゆうれいのあらすじと教訓!守る事の心理

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京都六道珍皇寺

いざという時、あなたはこの幽霊のような行動が出来るでしょうか?

ゆうれいは何も考えないから出来るのでしょうか?

このお話に出てくるゆうれいはゆうれいでも守るゆうれいです。

カッコ良いゆうれいです。

では子育てゆうれいのあらすじから見ていきます。

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子育てゆうれいのあらすじ

 
むかし、山のふもとに一軒のあめ屋がありました。

ある日の真夜中に誰かがトントンと戸をたたきます。

あめ屋は真夜中にいったい誰だろうと、不審に思いながら戸を開けました。

すると、そこには見たことのない女が立っていて、「あめをくださいな。」と言うのです。

あめ屋は怖かったのですが、あめを袋に入れて渡すと、女はお金を払って帰って行きました。

もしかしてキツネの仕業かもしれないとあめ屋はお金を調べてみましたが、本物です。

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ですが、その女は次の晩もまたその次の晩もあめを買いに来ました。

不思議に思っていたあめ屋はある日怖いのをがまんして女の後をつける事にしたのです。

すると、女の足の速いこと速いこと。

ですのであめ屋は必死になって追いかけて行くと、女はある寺の前で立ち止まり、そしてふっと姿が消えました。

「やはり幽霊だったか。」と思っていると、墓場の方から赤ん坊の泣き声がします。

なのであめ屋は寺に駆け込んで住職に事情を話すと、泣き声が聞こえる墓を掘ってみたのです。

そして、かんおけのふたを開けると、死んだ女のそばにまるまると太った赤ん坊が泣いていました。

なんでもそのお墓は7日前に亡くなった松吉という男のおかみさんのお墓だそうです。

この女の人は死んだときお腹に赤ん坊がいて、墓の中で生みおとして、乳のかわりにあめをしゃぶらせていたのです。

ですから和尚さんは、「ゆうれいになっても我が子を育てるとは、見上げた母心だ。」と感心します。

そして赤ん坊をお寺で育てる事にしたのです。

それから二度と女はあめ屋に来ることはありませんでした。

おしまい。

京都六道珍皇寺

 

子育てゆうれいの教訓

 
このお話の教訓は、母はすごいという事です。

この母親は死んでからも子供を助けようと必死になって、幽霊になってまで、あめを買いにいくのです。

この母親は一生懸命赤ん坊が死なないように守ります。

ここで、守るという事について考えてしまいました。

例えば私が普段守っている(と思っている)ものと言えば、家族の健康であったり、子供が事故にあったり、けがをしたりしないように気を配ったりという事です。

そして、私は本当に純粋に家族の為に守っているのか?と考えてしまいました。

先日相方が何日間か左目の周りを腫らしていたのですが、痛くもかゆくもないから大丈夫と本人は言うのです。

病院のお休み期間もあったりして、何日かするときれいに治っていました。

でもその時本当に私は相方を心配して、「病院に行った方がいい。」と言ったのでしょうか?

守らないと病院に行かさないと「私が放っておいたせいで目が見えなくなったらどうしよう。」と自分の責任になる事を避けたかったのかもしれません。

それで、心配している振りをしたのかもしれません。

「もし目が見えなくなったら私がずっと一緒にいなければ何もできなくなる。」とそこまで考えなかったにしても、結局は自分を守るために相方を心配して、病院に行かせようとしたのではないだろうか?と思ってしまいました。

子どもが中学高校の時は、きちんと食事を食べささないと、栄養が偏って病気になったら困るからとか、お弁当をきちんと作って持たさないと母親が手を抜いていると思われないか?とか思っての行動だったかもしれないのです。

それは結局「自分が悪く思われないか?」とか、「自分が悲しい思いをしないか?」とか「自分が後悔しないか?」とか自分を守る為の行動だったかもしれません。

純粋に家族を守るという事ではなかったのかもしれないのです。

ですからいざという時に私は本当に家族を守る事ができるのでしょうか?

でもその答えは、その時にならないとわかりません。

なので、このお話の中で自分の命がなくなった後も赤ん坊を守ろうとした母親はすごいのだと思います。

自分の為とか他に何か考えがあっての行動ではなくて、純粋に赤ん坊を守る為なのです。

私もいざという時こんなことができるでしょうか?

いざという時に大事な人を何の考えもなく何の躊躇もなく、守る事が出来ればいいなあと思います。

 
そして、このような日本の幽霊やおばけの話はどうして語り継がれて来たのでしょうか?

日本のこわいお話は、一見そんなに深い意味がなさそうで、ただ怖がらそうとしてる?っていうお話も多いのです。

「悪い事しちゃあいけないよ、そんな事したらおばけが出るからね」っていう教訓的なお話も多いように思います。

でもどこかにそれぞれのお化けや妖怪や幽霊の意味がありそうなのです。

例えばこのお話では、夜中にやって来る女の人の幽霊がこわいなあと思わせて、実は赤ん坊を助けるための行為だったと納得させて安心させるという、幽霊と墓場と母性という落差があります。

怖さと不安と不気味さと安心感と愛とのギャップがこのお話の大事な事かもしれません。

その方が安心感と愛が強く思えて印象に残るという事でしょう。

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子育て幽霊の原作

 

昔の中国の儒学者が編纂した志怪小説と呼ばれる『夷堅志』に載っていた「飴を買う女」とよく似ているので中国のお話をもとにしたものではないかと言われている。

僧侶が親の恩を説くお話として用いた。
 

まとめ

 
子育て幽霊の教訓は、母はすごいという事と、純粋に大切なものを守る事は難しいという事です。

おばけもゆうれいも妖怪も人間が勘違いや錯覚や想像で作ったものだと言われますが、まったく存在しないと言われてしまうと何か寂しい気がしてしまいます。

何かのために、どこかに存在しているような気がしてなりません。

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