姥捨て山(うばすてやま)のあらすじと教訓!繋げる力。

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姥捨て山

最近、お年寄りと話しましたか?

お年寄りの考えを古いと思ったりしていませんか?

今のように便利なツールがない時代を生きて来たお年寄りは、自分で考え、自分の手で作れるものは作ってきました。

きっと、話を聞いてみると何か発見があるはずです。
 
そして、あなた自身も最近何かについて深く考えましたか?

何かひらめきましたか?

この『姥捨て山』には、現代人が陥りやすい生活の盲点が隠されています。

その盲点とはいったいどんなことでしょう?

それでは、思っていたよりも深い『姥捨て山』のお話のあらすじから見ていきましょう。

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姥捨て山のあらすじ

 

親孝行な息子

 
昔、ききんが続いて、食べ物がなくてみんな困っていました。

ですので殿様は、「年寄りは飯を食べるだけで役に立たないので、60歳になったら、みんな山に捨てなさい。」とおふれを出したのです。

ある村の孝行息子は母親が60歳になったので、母親を背負って山の奥まで捨てにきました。

すると、母親は道々木の枝を折っていきます。

やっと山の奥につくと、母親は「お前が迷わず帰れるように、ところどころ枝を折って目印にしとるから。」と言いました。

息子はそれを聞いて泣きながら、「そんなにおらの事を思ってくれるのに、母さんを置いて帰ることはできません。いっしょにかえりましょう」と言います。

すると母親は「わしはあとは死ぬだけじゃ。放っといてかえれ。」と言うのです。

ですが、息子は母親を背負ってまた連れて帰って来て、床下に穴を掘って母親をかくします。

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母親の知恵

 
ある時、隣の国の殿様が、知恵比べをしようと言ってきました。

「ひとつ、灰で縄をなうこと。」

「ふたつ、中でグネグネ曲がっている穴が開いている玉に糸を通すこと。」

お殿様は、「この問題を解いたものには、ほうびをやる。」といいます。

すると、母親は、その方法を息子に教えてやります。

次の日、息子はお殿様のところに行って、問題を解いて見せたのです。

すると、殿様は「ほうびにおまえの欲しい物を言ってみろ。」と言います。

ですので、息子は実は60の親に教えてもらった事を殿様に伝えます。

そして、年寄りを捨てるという決まりを取りやめて欲しいとたのみました。

すると、お殿様は、「今後、姥捨てはやめる事にしよう。」と約束します。

おしまい。
 

 

姥捨て山の教訓

 
この『姥捨て山』の教訓は、たくさんの知識や経験も考える力と、思いつく力がなければ、つながらないという事です。

この母親はこれまでの知識と経験をつなぎ合わせることによって、このような答えを導き出すことが、できたのです。

このお話の中では、母親が、灰で縄をなおうとせず、縄を灰にすれば出来るといいます。

「わらを正月のしめなわ要領でかたくなえ。それからすこしづつ燃やしてみなさいといいました。

それに、中でグネグネと曲がった穴の開いた玉に糸を通す方法をいとも簡単に答えを導きだすのです。

母親は、大きなありを捕まえてきて、ありに糸を結びつけ、それから穴の出口に蜜を塗っておいて、反対の入り口からありを入れれば、ありは出口の方からはい出てくる。と教えます。

ありと糸と玉のように、普段は全く関係なくて、つながりそうにない物をつなげられるのは、柔軟な考え方と思い付きがあるからです。

ですので、この息子がたくさんの知識と経験を積んで、この母親の年になったら、考え付くかといったら、必ずしもそうとは限りません。

それには、自分で考える習慣と思いつく力と勘が必要なのです。

例えば、数学の問題があるとすると、考える習慣と力がある人は、自分でじっくりと考えて、ああでもない、こうでもないと実際にやってみます。

問題を解く過程を、自分で考えて、例え間違っていても正解していても最後には答えを導きだします。

もし、間違っていたら、間違っていた所に戻って、考え直すのです。

そうすることで、段々と色々なパターンの考え方も力も身につきます。

そして、たくさんの問題の解き方を考え合わせることで、新しい問題を解くヒントも思いつくのです。

ですが、考える力と習慣のない人は考える事がすごく疲れるので、ついすぐに放り出して答えを見て、わかった気になってしまいます。

問題を解く過程が理解できず、納得できてなくても平気です。

それでは、考える力は身につかないのです。

そして、考える習慣は、人との会話でも、鍛えられます。

会話というのは、人の話しを聞き、瞬時に相手の表情もみて、どんな気持ちで言っているかを判断しようとするのです。

そして、その間にも、次になにを答えるか考えなければなりません。

意外に大変な作業なのです。

では、思いつきと勘はどうすればいいのでしょう?

実は、私たちが普段つかっている脳の細胞は全体のほんの少しだそうです。

普段、使っていない脳を使う事で、ふと、何か悩んでいた事の答えを思いつく事があるのです。

例えば、緑の中に出かけてみたり、パズルをやってみたり、簡単な事では、お風呂にゆっくり入ってみたり、音楽をきいてみたりと色々あります。

そして、勘と言われる物は、どこで鍛えられるか、具体的にはわかりませんが、これは、「なんとなく」とか「気の向くまま」に生活している方が、鍛えられるのではないでしょうか?

だから、通勤して、仕事をして、帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って寝るという単一な生活を送りがちな現代人は、意識して少し違う事を取り入れるのも、いいかもしれません。

● いつもと違う道を通る。

● 違う店で買い物をしてみる。

● 良い天気の日は外でご飯を食べてみる。

等、小さなことですが、何か自分の中で違った事を発見できるのではないでしょうか?
 

 
このような、お話がのこっているという事は、実際に年寄りを捨てるという、事実もあったのでしょうか?
 

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姥捨て山の原作

 
実際の姥捨ての事実の記録はないですが、各地に地名や名残りがあります。

中には、山や崖などに「六十落とし」といった名前がのこっている所もあるのです。

大阪には蟻通神社(ありとおしじんじゃ)があり、枕草子にこれに似たお話が紹介されています。

又、同じようなお話は中国やヨーロッパなど、世界各地に広く分布しているのです。

 

まとめ

 
『姥捨て山』の教訓は、たくさんの知識と経験は、考える力と思いつく力によってつなげられて、活用することができる。ということでした。

気分転換で普段やらないことをするのは効果がありそうですね。

会議室に1人用のトランポリンを設置している会社があると聞いたことがあります。

楽しそうですね。

いい気分転換になりそうです。

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