
ツェねずみのお話は、怖くて悲しいお話です。
もしかしたら、ふとしたことで自分もそんな運命になるかも知れないのです。
時々こんな風にひとのせいにしてしまいたくなる人は要注意です。
では、ここからはツェねずみのお話を見ていきましょう。
ツェねずみのあらすじ
ある家の天井裏にツェという名前のねずみが住んでいました。
ツェねずみが床下を歩いていると、いたちがきらきら光る物を持って歩いてきます。
そしてツェねずみに「おまえの所の戸棚から金平糖がばらばらこぼれてるよ。早く行って拾いな。」と言いました。
ですので、ツェねずみは喜んで急いで戸棚の下まで来たとき、いきなり足がチクリとしたのです。
ツェねずみはびっくりしてよく見ると、ありの兵隊たちが群れをなし、金平糖を巣に持ち帰ろうとしていたのです。
そしてありたちに追い払われてしまったねずみは、どうも面白くなくって、しゃくにさわりました。
ですからツェねずみはいたちの家に行って「いたちさん、私のような弱い物をだますなんてひどい。」と言うのです。
それからいたちに「まどうて(つぐなって)ください。まどうてください。」と訴えます。
いたちは「おまえの行ったのが遅かったのだろう。」と言いますが、ツェねずみは「私のような者をだますなんてひどい。まどうてください。」としつこく迫るのです。
いたちはとうとう自分の金平糖を投げ出し、「てめえみたいなぐにゃぐにゃしたやつの顔なんぞ見たくもない。さっさとそれを持ってどっかへ行ってしまえ!」といいました。
ツェねずみはそれを出来るだけ拾って、いたちにお辞儀をして一目散に帰ったのです。
こんな具合なのでツェねずみはそのうち誰にも相手にされなくなりました。
ですので、ツェねずみはバケツだのはしらだのと仲良くするようになったのです。
はしらはある日、ツェねずみに「もうじき冬になるからそろそろ夜具の用意をした方がいい。ぼくの頭の上にある雀が春に持って来た鳥の羽根やらいろいろ暖かいものを持って行って使うといい。」と言います。
ですので、ツェねずみはさっそく運び始めました。すると行ったり来たりしているうちにはしらの途中の坂道で、すべって転げ落ちてしまうのです。
はしらはとても心配して、「大丈夫かい?怪我なかったかい?」と声をかけます。
ですが、ツェねずみは「はしらさん、君もずいぶんひどい人だ。弱い者をこんな目に会わせて。」と言い、許して下さいと頼むはしらを更に責めたのです。
ツェねずみははしらに「まどってくれ、まどってくれ。」と言いました。
はしらは困ってしまっておいおい泣きました。
ですからツェねずみは仕方なく巣に帰ったのです。
それからは、はしらは怖くなって二度とツェねずみに口をききませんでした。
そして、その後ちり取りが半分になったもなかをツェねずみにあげます。
すると、ツェねずみは次の日おなかが痛くなったのです。
ですからツェねずみはちりとりに「まどってくれ。」と100回ばかり言いました。
そののちに、バケツがツェねずみに洗濯ソーダのかけらをあげて、「これで毎日お顔を洗いなさい。」と言います。
しばらくすると、ツェねずみのひげが10本ほど抜けてしまったのです。
ですからツェねずみはバケツの所にやって来て、250回ばかり、「まどってくれ。」と言いました。
それからは道具たちもみんなツェねずみを見ると急いで知らないふりをするのですが、1人だけまだ、ツェねずみと付き合った事がない物がいたのです。
それは、ねずみとりでした。
ねずみとりは本来は人間の味方なのですが、最近では人間にも役立たずと思われて、ねずみの方に愛着を持っていたのです。
ですから、ねずみとりはねずみを見ると、「おいで、今夜のごちそうはあじのおつむだよ。お前さんが食べる間わたしがしっかり押さえておくから大丈夫だよ。」と誘います。
ですが、他のねずみはだまされまいと、見向きもしないのです。
ある時、ツェねずみがねずみとりの前を通りかかりました。
すると、ねずみとりはいつものように声をかけたのです。
「おいでおいで、今日はやわらかいはんぺんだよ。えさだけあげるよ。大丈夫だよ。」
それを聞いたツェねずみは「ほんとうにえさだけくれるの?」と言いながら、プイッと中に入ってはんぺんを食べて、またプイッと出ていきました。
そして、「ありがとう、美味しかったよ。」というツェねずみにねずみとりは「あしたもおいで。」と言います。
そして、次の日またツェねずみはやって来て「こんばんは、やくそくどおり来てあげましたよ。」と言うのです。
ねずみとりはすこしムッとしましたが、がまんして、「さあ、食べなさい。」と言いました。
すると、プイッと入って、いわしを食べてまたプイッと出ていきます。
そして、「明日また来てあげるからね。」というのです。
次の朝、空のねずみとりを見た人間は、「どうもこのねずみとりは、ねずみからわいろをもらっているんじゃないか。」と言いました。
ねずみとりはそれを聞いてたいそう怒ります。
そして、夜になり、またツェねずみがねずみとりの所にやってきました。
それから「毎日こんな遠いところまでやって来るのも大変なんだ。それにごちそうと言ってもせいぜい魚の頭だ。」と言ったのです。
ねずみとりはまだ怒っていましたので、ただ、「おたべ。」と言います。
ですから、ツェねずみはプイッと中に入りましたが、はんぺんが腐っているのをみて、怒って叫びました。
「ねずみとりさん、このはんぺんは腐っています。僕のような弱い者をだますなんてひどいや。まどってください。まどってください。」
すると、ねずみとりは針金をりうりうと鳴らすくらい怒ってしまったのです。
このりうりうがいけなかったのか、「ピシャリ!」えさに着いていたかぎが外れてねずみとりの入り口が閉じてしまいました。
ツェねずみは、きちがいのようになって、「ねずみとりさん、ひどいやひどいや。」と針金をかじったり、くるくる回ったり、わめいたり、鳴いたりしました。
ですが、もう「まどってくれ。」という力はありませんでした。
おしまい。
ツェねずみの教訓
このお話の教訓は、何でも誰かのせいにして必要以上に反省や償いを求めて生きていると、最後には誰にも相手にされず、ひとりぼっちになるという事です。
ひとりぼっちというのは、ここでは周りにだれもいないという事ではなくて、周りにはいつも誰かがいるけれども、だれも相手にしてくれない、だれも自分と気持ちを共有してくれないということです。
ひとりぼっちじゃないのにひとりぼっち・・・
考えただけでも怖いですね。
このツェねずみはどうしてこんな風になんでも人のせいにするようになってしまったのでしょうか?
ここで考えたいのは誰かのせいにすることについてです。
あなたはどんな時に自分のせいではなくて、人のせいだと思いたくなりますか?
もちろん、一方的に相手のせいでその事件が起こってしまった場合はその人のせいだと思うでしょう。
でもそれ以外に、相手ばかりのせいではなくて、自分のせいでもあるのに、自分のせいではなくて相手のせいだと思ってしまうことはありませんか?
例えばひとつ目は、自分で物事を決めないで人の言う通りに行動した時。
(自分で何も考えずにやった事なので、自分のせいではなく自分に指図した人のせい。子供が親の言う通りにしか出来なくて、失敗してグレる、引きこもる等)
こういう人は自分で物事を選んで決めないからいつまでたっても自分で選んで行動して失敗したり成功したりという自信を育てる機会がないのです。
自分で考えて選んでいないから、失敗したとき、どうしたらいいか全くわからずに、人のせいにすることで自分に責任はないと思い込もうとしています。
そしてふたつ目は、自分のせいだと認めると、自分のプライドが傷つくと思う時
(自分が間違っている事を認めたくない。人に指摘された時に逆ギレする等)
自分が間違っている事を認めて謝りたくない。
周りの人に自分が悪いと思われたくない。
例えば店にクレームを言ったが、実は自分の勘違いで、店側は悪くないが自分が間違っていると認めるのが恥ずかしいのでなかなか間違いを認めないで、ますます怒鳴ったりする人等がいます。
それから3つめは、自分のせいにすると、心が壊れそうなので、人のせいにして、自分は悪くないと思い込もうとする時
(自分のせいだとわかっているけど、自分のせいだと認めると自分を責めてしまうので人のせいにしたい。)
でも実はこういう人は以前は何でも自分のせいだと思って自分を責め続けたために、疲れてしまって自分の心を守る為に他の人のせいにするようになってしまった。という人なのかもしれません。
そして、もしかしたら人のせいにしてしまった自分を、心の中でまたせめているのかも知れないのです。
他にも人のせいにしたいと思う時はあると思います。
そして、自分のせいやひとのせいにして長く悩んだり、責めすぎて前に進めなくなる事もあるかもしれません。
生きていて、仕事をしたり生活したりしていると、予期しない出来事が起こったり、思わぬ失敗をしたりします。
もちろん、自分のしたことで相手に迷惑をかけたり、相手のしたことで迷惑をかけられたりすることがあり、ごめんなさいと謝っても謝られても反省したとしても許されない事もあります。
ですが、そういう場合でも、経緯を確認して、原因を特定する事しかできない場合もあるのです。
もうその後はその人を許し、自分を許す事しかないように思います。
相手や自分を責め続けるのは心にも大変な負担がかかります。
できれば、長く相手を憎んだり、自分を憎んだりすることがないように祈るだけです。
人は失敗するものです。
一度も失敗したことがない人などいないのです。
そして、心の中でも本当にすべては誰かのせいで、自分のせいではないと思う事ができれば、人生楽でいいかもしれません。
でもきっとそんな人は、そのうちにひとりぼっちになってしまうでしょう。
ツェねずみの原作
宮澤賢治の短編小説です。
『クンねずみ』という小説と近い年代でかかれたと言われています。
『クンねずみ』もまた生き方の下手なねずみが、みんなに嫌われて最後はしんでしまうお話です。
まとめ
このお話の教訓は、何でも誰かのせいにして必要以上に反省や償いを求めて生きていると、最後には誰にも相手にされず、ひとりぼっちになるという事です。
私が今回読んだ絵本の裏表紙の絵は「ツェ」と書いたお墓の絵でした。
そんなツェねずみでも誰かがお墓を作ってくれたんですねえ。
少しホッとしました。