木を植えた男のあらすじと教訓!目に見えない物との戦い

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地球

あなたは自分が死んだ後のずっと先の世界や地球にどうなって欲しいと思いますか?

興味がありませんか?

どうでもいいですか?

それとも、今と変わらず空気があって水がある地球がいつまでも存在して欲しいでしょうか?

そして、あなたは今までに成果が出ずにやりたくなくなってやめた事があるのではないでしょうか。

木を植えた男のお話は1人の男がすごい事をやり遂げたお話です。

それでは、ここからは木を植えた男のあらすじです。

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木を植えた男のあらすじ

昔、私が行ったフランスのプロバンス地方で山奥のお話です。

そこは海抜1300メートルほどで、生えているものは何もないまったくの荒れ地でした。

私は広い荒野を3日歩き続けてどこかで水を探さなければならなかったのです。

でもそこは日差しが強く強風が吹いていました。

ですので、私はキャンプを張るのをあきらめました。

それから5時間ほど歩き続けると、はるか彼方に黒い影を見つけてその影に向かって歩いていきます。

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それは羊飼いと羊たちだったのです。

その羊飼いの男は水をくれて、ひつじ小屋に連れて行ってくれました。

羊飼いの男は石造りの手入れが行き届いた家に住み、あたたかいスープをごちそうしてくれたのです。

その夜は羊飼いの家に泊めてもらう事にしました。

一番近くの村までも一日半はかかるからです。

そのあたりの村々の人は木こりや炭焼きをしていましたが、冬も夏も気候はきびしく、生活は厳しかったのです。

ですので、村人の心はすさみ、争い事が絶えません。

そして、吹きすさぶ強い風で神経がやられ、自殺や心の病も流行っていたのです。

その夜、羊飼いの男は、袋に入ったたくさんのどんぐりをより分け始めます。

ひつじかいは大きくて形の良い100個のどんぐりを選び、その晩は床に就きました。

次の日私は、もっと羊飼いの事が知りたくなり、もう一日泊まらせてほしいと申し出ます。

そして、羊飼いは水に浸したどんぐりの袋と、長い鉄の棒を持って山に行き、棒で穴を開け、そこにどんぐりを植え始めた。

聞けば、かれが植えた10万個のどんぐりは、そのうち2万個が芽を出し、その半分は動物にやられるか何かでダメになるだろうといいました。

羊飼いは、ほかにもブナの木やカバの木を育てる実験をしているそうです。

そして、あくる日私は山を下りたのです。

その翌年戦争がはじまり、私は5年を戦場でくらしました。

私は戦場から戻ると、新鮮な空気が吸いたくなって、またあの荒れ果てた地に向かいました。

すると、廃墟の村まで来てみると、遠くに何かがじゅうたんのようになびいています。

「もしかして、一万本のカシワの木があんなに根付いたのかもしれない。」

そして、羊飼いの男はまだ生きていて、木を植え続けていたのです。

そして、カシワは私の背たけを超えていました。

カバの木もブナの木も立派に育っています。

それに、前には干上がっていた小川に水が流れていたのです。

それから私は毎年羊飼いの男の元を尋ねるようになります。

やがて、風が種をまき散らし、小さな牧場や花畑が次々にうまれました。

たまたま山に入った狩人などは、豊かに育った木々を見ても、ひとりの男が作り上げたとは思いもおよびません。

それからも一万本植えたカエデが全滅したりしました。

それでも羊飼いの男はたぐいまれない不屈の精神で、孤独の中で一人で木を植え続けたのです。

そして、やがてこの地は国の保護区に指定されました。

そのころ2度目の戦争が起こります。

そして、木炭が必要になりましたが、この地は車でも入れない為伐採は免れたのです。

そんなことも知らず、羊飼いは木を植え続けます。

二度目の戦争が終わり、私がまた山へ行ってみると、村には噴水ができて、菩提樹が植えられ、耕地が作られ、人々は未来の夢と労働への意欲がみなぎっていた。

たったひとりの男が、荒れ果てた地を幸せが満ちる地へと生まれ変わらせたのです。

おしまい。

ブナの森

 

木を植えた男の教訓

 

このお話の教訓は、目に見える事だけに支配されない事と、続ける事の大切さです。

人というのは、まず今の目先の事を考えて行動したり、自分かわいさに、自分がいちばん良い立場になれるように物事を進めたり、決めたりします。

そして、自分の行った結果はすぐに自分に返ってくる事を当たり前だと思い、そう望んでしまうものなのです。

ですが、この羊飼いの男は、誰の為というわけでもなく自分の為でもなくただそうする事で、木が育てばいいと思い木を植え続けます。

その上、羊飼いの男の行為はすぐに結果がでるものではありません。

何十年先、もしかしたら何百年先しか、結果が出ないかも知れないのです。

そして、出来るか出来ないかもわからない事です。

ほとんどの人が、自分がいなくなった後の事なんて、どうでもいいと思っているのです。

もちろん、地球も子供達も大事ですし、この先はもっと良くなるか、変わらず平和であればいいなあと思っています。

あからさまに自分がいなくなった後はどうでもいいと言う人はいません。

ですが、そこまで考える余裕もなく、未来の見えない成果のために労力を提供できる人はいないのです。

ですから、ずっと先の未来の為に木を植え続けたこの羊飼いの行為はすばらしいのです。

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そして、人は目に見えてわかりやすい変化がないと、実感がわかずずっと続けることが難しいのです。

がんばったら頑張っただけ、目に見えて成果が出れば、そのことが「もう少し頑張って続けよう」というモチベーションにつながります。

ですから、すぐに成果が目に見えない事を続けるのは、それだけでとても難しく大変な事なのです。

英語の勉強や、文章を書いたり絵を描く事など、自分の為に好きでやっている事ですら、成果が現れなければやる気もなくなってしまいます。

なので、毎日毎日木を植え続ける事は、どんなに大変でしょう。

それだけ目に見える成果はわかりやすく私たちにやる気をあたえたり、やる気をなくさせたり、大きな影響をあたえるのです。

そして、反対に悪い事でも目に見える影響が出ていなければ、なんとなくよくないとわかっていても見て見ぬふりをして対処しようとしない事があります。

何年か前、大学院を卒業して、なんだか難しい機械?設備?の開発のお仕事につく予定の子がアルバイトに来ていました。

そのころ、東北地方太平洋沖地震があり、原発事故がありました。

私は原発で事故があったとわかった時に、家にいる子供たちに、なるべく外にでないように窓をあけないように言って仕事にでました。

でも、そのときにそのアルバイトの子は、そんなに心配をすることはないと言います。

それは、実際には原発で作業をしている人も近くにいた人も、なにか目に見える被害にあった人はいないから大丈夫だと言うのです。

でも、わたしは目に見えないから、わからないからこそ怖いと思いました。

目に見えない物をすべて怖がっていると、心配しすぎて生活できません。

ですが、将来身体に影響をおよぼすかもしれないとわかっている物はできれば避けたいです。

今は大丈夫でも将来的に何か影響がでるかもしれないと思うのです。

人はついつい今目に見える物を重視してしまって、みえない物を後回しにしてしまいがちです。

目に見える物を重視しすぎて、みえない物の怖さを忘れてしまっているのではないでしょうか?

忙しく生活に追われ、自分がいない将来の事など考えるのはすごく難しいことですが、本当はみんなが何十年何百年先の世界の事も考えながら生きていかなければならないのです。

 

木を植える男の原作

1953年に発表されたジャン・ジオノのフィクションの短編小説です。

ジャン・ジオノはフランス、プロバンスの作家です。

ジオノの亡くなった後に20か国語に翻訳されたのです。

そして、1987年には短編アニメ化され、その後絵本も出版されました。

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まとめ

このお話の教訓は、目に見える事だけに支配されない事と続ける事の大切さです。

わかっている事は、私たちにも地球にも寿命があるという事です。

いつまで、私たちはこの地球で暮らせるのでしょうか?

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