
おやゆびこぞうのお話は、知っているだけでもすぐに何個か思いつく、小さく生まれた子供のお話です。
でも、このお話の主人公は、大きな人に負けていません。
そして、決してあきらめません。
このお話には、人間が行き抜いていくためのヒントが含まれています。
忘れていた大事なことを思い出させてくれるのです。
ここからは、おやゆびこぞうのあらすじを見ていきましょう。
おやゆびこぞうのあらすじ
むかし、貧しいおひゃくしょうさんと、おかみさんがいました。
ふたりはとても子供を欲しがっていたのです。
しばらくして、おかみさんはひとりの子供をうみます。
その子の背の高さはおやゆびくらいしかありませんでした。
夫婦はその子におやゆびこぞうと名付けて、とてもかわいがります。
しかし、おやゆびこぞうはたくさん食べてもちっとも大きくなりませんでした。
それでも、おやゆびこぞうは利口ですばしっこい子供になったのです。
ある日、おひゃくしょうさんは、森に木を切りに行く時に、「これで後から誰かが車を持ってきてくれたらいいのになあ。」と言います。
すると、おやゆびこぞうは「車なら僕が後から持って行ってあげるよ。」というのです。
それを聞いて、おひゃくしょうさんは、「お前にそんなことができるはずがない。」と言います。
けれども、おやゆびこぞうは時間がくると、おかみさんに馬と車をつないでもらいました。
そして、おやゆびこぞうは馬の耳の中にいれてもらい、耳の中から馬に指示を出し、きちんとおとうさんの所まで車を持って来たのです。
その時、おやゆびこぞうが森に向かう途中で、誰も乗っていない馬車を見つけて不思議に思った男が2人いました。
その男たちは、馬の耳から可愛い小さな男の子が出て来たのをみて、町に行っておやゆびこぞうを見世物にすればお金がかせげると考えたのでした。
ですから、男たちは、おやゆびこぞうを自分たちに売ってくれと言い出します。
お父さんは大事な子供は売れないと言いますが、おやゆびこぞうは、お父さんに「ぼくを売ってしまってよ。きっと戻って来るから。」というのです。
なので、お父さんは、大金と引き換えにおやゆびこぞうを売ってしまいます。
そして、しばらくしておやゆびこぞうはトイレに行きたいと言って地面に降ろしてもらい、野ねずみの穴の奥の方に隠れて男たちから逃げる事ができたのです。
それから、次に泥棒を計画していた別の男2人に会ったので、「家の中に入って、金や銀を持ち出してあげる。」と言って、うまく牧師の家の中まで連れて行ってもらうのです。
そして、牧師の家で大きな声を出して、泥棒の男たちを追い払った後、おやゆびこぞうは牛小屋の干し草の上で眠る事にします。
すると、朝ねむっているうちに、牛に干し草ごと食べられてしまうのです。
ですが、おやゆびこぞうはあきらめず、大きな声でさけびました。
ですので、女中さんと牧師さんは、びっくりして、牛に悪魔がはいりこんだと思い、牛を殺してしまいました。
おやゆびこぞうはやっとこさ胃袋から顔をだすと、そこへやって来たのはおおかみです。
おおかみは胃袋ごとおやゆびこぞうを丸飲みにしてしまいます。
それでもおやゆびこぞうはあきらめません。
おやゆびこぞうはおおかみに「おいしいごちそうにありつける所を知ってるよ。」と言います。
そして、おおかみに自分の家の事をくわしく話したのです。
それから、下水道しか出入りが出来ない事も伝えました。
そうすると、おおかみは喜んでおやゆびこぞうの家に行き、たくさんのごちそうを食べたのです。
すると、おおかみはお腹が大きくなり、入って来た下水道から出る事ができなくなりました。
それから、おやゆびこぞうは大きな声を出し、起きだして来たお父さんとお母さんに助けてもらったのです。
おしまい。
おやゆびこぞうの教訓
おやゆびこぞうの教訓は、周りから見て、圧倒的に不利な場合も自分で考え、あきらめなければ、突破することができるという事です。
おやゆびこぞうは見た目は小さくて誰にでも支配出来そうに見えるのです。
でも、身体が小さいからこそ人よりも得意な事を生かし、特性を利用して、問題を解決しました。
馬の耳の中に入ったり、野ねずみの穴に入ったり、窓の鉄格子の間から家の中に入ったりします。
そして、どんなに大変な事態になっても決してあきらめないのです。
もう助かりそうにない事が起こっても、落ち着いて自分の状況を考え、解決する方法を考えました。
そして、その解決方法は誰かが教えてくれた事はひとつもありません。
なぜかというと、周りに同じような大きさの人はいないのですから、どうしたらいいか教えてくれる人はだれもいないのです。
自分で色々な方法を試してみた結果や体験から、自分で編み出した方法で解決するしかないのです。
おやゆびこぞうの場合はほとんどの事を自分で考えなければなりません。
しかし、私たちの場合はどうでしょう?
私たちは何かを出来るようになりたいと思う時、人に勉強を教えてもらったり、習得の方法を教えてもらったりします。
それは、その方法の方が効率良く習得できますし、誰かが試した方法で安心だからです。
例えば絵を描くときも最初は模写をしたりして、どれくらい力を入れて描くのか、どんな順番に、影や明暗をどう描くかなど、学ぶ事ができます。
そして、段々と、教えてもらった以外の自分の考えや、じぶんのアイデアを盛り込んでいくようになって、オリジナルな作品になるのです。
でも、多くの人は、オリジナルということになると、途端に自信がなくなるのです。
教えてもらった事や、決まっている事には安心するのですが、好きに自分の考えるようにやっていいよと言われると、全く自信がなく、何も思いつかないのです。
人は子供の時は教えてもらわなくても色々な事をおもいついたり、オリジナルな絵を描いたり、新しい遊びを考え付いたりしていたのです。
いつから、思いつかなくなって、新しい物を作れなくなったのでしょうか?
小学校に入ってからみんな同じことを勉強して、みんなと同じように過ごすように言われて、みんなと一緒である事が安心できるようになってしまったのでしょうか?
親にこうしなさいああしなさいと言われすぎて、自分で考える事をあきらめてしまったからでしょうか?
それでもあきらめず、ずっと信じて鍛錬していけば、また新しいものを作れるようになるのでしょうか?
世の中では、AIというものが開発され、10年後、20年後には、ほとんどの仕事を人間の代わりにAIが出来るようになると言う人もいます。
自分の頭で考えて、自分で編み出せるようになれば、そんな心配はなくなるかもしれません。
おやゆびこぞうの原作
ドイツのグリム兄弟・ヤーコプとヴェルヘルムによって書かれたグリム童話集の一遍です。
おやゆびこぞうのように、小さい子供の事を書いたお話は日本では一寸法師が有名です。
他には、デンマークノ作家・アンデルセンが親指姫を書いています。
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まとめ
おやゆびこぞうの教訓は、周りから見て、圧倒的に不利な場合も自分で考え、あきらめなければ、突破することができるという事です。
これからの世界を行き抜いて行くには知識も必要ですが知恵がもっと必要です。
教えられた事しか出来ない大人は、子供にも自分で考える力をつける事が難しいのでしょうか?