
結果は忘れた頃にやって来るものです。
忘れていたからこそ、いい結果になったのかもしれません。
世の中では、効率や、時短、結果などを求められる事も多くなってきましたが、それだけが重要ではないという事をあらためて考えることも必要ではないでしょうか?
このお話には、ゆっくり、楽しんで育てる事の大切さが、書かれているのです。
では、『はなさかじいさん』のあらすじを見ていきます。
はなさかじいさんのあらすじ
かわいい犬ころ
昔、あるところに、子供がいないじじとばばがおりました。
2人は一生懸命働いて、大変正直に暮らしていたのです。
ある日の事、ばばが洗濯をしている所に、箱が流れて来ました。
ばばがその箱を開けてみると、かわいい犬の子が一匹、こっちをみていました。
ですので、ばばは喜んで、抱いて帰ります。
それから2人は、その犬ころを、自分達の子供のように、好きな物を好きなだけ食べさせて育てました。
ある日、犬ころが車を引っ張って来て、「くわと袋を持って、ここに乗ってください。」と言うのです。
でも、じじとばばは「おまえが疲れるから、乗らない。」といいますが、犬ころがどうしてもと言うので2人で乗ります。
やがて、少し行った所で、犬ころは、「ここ掘れ、ワンワン。」と言うので、じじがその場所を掘ってみます。
すると、金とか銀がザクザクと出てきたのです。
ですので、じじとばばは、大喜びしました。
それから、家に帰ると2人は犬ころの足を洗って寝かせてあげました。
それを知ったとなりの怠けじじが「その犬ころを貸してくれ。」と言いました。
じじは断りましたが、となりのじじは勝手に、犬を連れて帰ってしまうのです。
それから、無理やり車をつけて、犬ころのしりをたたき、山まで走らせました。
さて、山につくと、となりのじじは勝手にあちこち掘ってみます。
すると、馬のふん、牛のふんと臭くて汚いものばかりでてきたのです。
そうすると、じじは怒り、犬をくわでたたき殺します。
そして、穴を掘って埋めると、しるしに小さな松の木を立てました。
その頃、正直なじじとばばは、犬ころが心配になって、いってみます。
でも、となりのじじは「臭くて汚い物ばかりよこしたので、ぶち殺した。それで、墓のしるしに松の木をたててきた。」と言うのです。
なので、じじとばばは泣き泣き墓参りに行きました。
犬ころの恩返し
すると、松の木は、2人をみると喜んで、ずんずんと大きな木に成長しました。
じじとばばは、その木で、臼を作ります。
そして、2人がこの臼で餅をつくと、また、金と銀がザクザクでてきました。
となりのじじは、それを見て、無理やり臼を持って帰ります。
それから、となりのじじとばばは、臼をついてみると、馬のふんやら牛のふんが出てきたのです。
そこで、となりのじじは怒って、臼をたたき割って、燃やしてしまいました。
ですので、2人は泣き泣き、灰を持ち帰ろうとしたとき、風が吹いて、灰はそこらの枯れ木にかかってしまいます。
すると、枯れ木の枝に見事に花が咲いたのです。
さて、枯れ木に花が咲いたという話が評判になって、殿様はじじを城に招きました。
じじは木に登ると、さっと、灰をまきます。
すると、枯れ木に見事に花が咲き、殿様はたくさんのほうびを与えたのです。
さて、この話を聞いたとなりのじじは、自分は呼ばれもしないのに、灰をたくさん持ってお城に行きました。
そして、殿様の前で、灰をまくと、花はまったく咲かず、殿様や、見物の者の目に灰が入ってしまうのです。
ですので、殿様は怒って、となりのじじを牢に入れてしまいました。
はなさかじいさんの教訓
このお話の教訓は、期待をせずに、時間をかけたり、育てたりすることの大切さです。
あせらず、ゆっくり、育つまで待っていれば、やがていいことが起こるのです。
『はなさかじいさん』のお話の中ではばばが、川で犬をを拾ってから、2人で可愛がって、たくさん食べさせて、ゆっくりとそだてます。
ですから、結果的に犬ころは、お宝の場所を教えて、死んでしまってからも、楽しませてくれるのです。
ですが、隣のじじとばばは何も犬に関わる事も、育てることもしないで、正直もののじじとばばと同じように、お宝をもらおうとします。
そして、犬のいう事を聞きもしないで、穴を勝手に掘ってしまった為に、牛のふんや馬のふんしか、出て来なかったのです。
ここでは、牛のふんや馬のふんは、うまく育てれば将来は肥料になり、何かを得ることができる物という事でしょう。
何も育てる事もせず、時間をかけたり、気持ちをかけたりもせずに、早急に結果ばかり求めてはいけないという事です。
例えば、勉強でも、自分はなにも努力せず、時間もかけなければ、いい結果が得られることはないです。
そして、運動でも、ダイエットでも、持っている力や、方法でも多少は左右されますが、最後にはコツコツと努力をした人が、いい結果を出すことが出来るのです。
要するに、自分はそれまで、何も関わらず、気持ちも、手もかけなかったのに、結果が出た時だけ、自分も貢献したように装い、結果を自分の物にしようとすることを批判しています。
例えば、父親が、最初から育児は母親がするものと決めつけ、子供が一番手のかかる時期に全く面倒を見ようとしなかったのに、子供が大きくなって、急に子供が自分が気に入らない行動をしたなどの理由で、子供にしつけと言って、色々口出しすることは、大きな間違いです。
小さな時から関わって育ててきたからこそ、子供も母親のいう事を聞くこともあります。
でも、今まで、何も関わらなかった父親が、いきなり生活や、勉強の面で口を出しても、いう事をきくはずがありません。
更には、最初から結果を期待したり、下心があると、うまくいかないことがある。という事です。
結果を期待せずに、見返りを期待したりしないで、育てたり、関わったりすることの方が、うまく行く事も多いものです。
例えば植木に早く花を咲かせようと、毎日水をやりすぎたり、日光に当てすぎたりすると、かえって育たない植物もあります。
子供にも、たくさんのお金をかけて、塾に通わせているから、少しでも試験の順位が上がって欲しい等、どうしても思ってしまいがちです。
ですが、それを親が思ってしまうと、子供もプレッシャーを感じて、反抗したり、かえって勉強しなくなってしまう事があります。
難しいことですが、黙って、見守ってあげるのが一番なのです。
その子に一番あったペースで過剰すぎず、足りなすぎず、育てたり、付き合ったりすることは、難しいですが、重要です。
子供は、ロボットではないので、これだけ勉強すれば、これだけ出来るようになる等、全くわからず、その子その子で、やり方も才能もペースも、考え方も違います。
子育ては、今よく求められる、時短とか、効率化とか、パターン化などできないからこそ、育てる仕事は、本当に見返りを求めない大切な行動です。
はなさかじいさんの原作
『桃太郎』『舌きり雀』等と並び、日本の五大おとぎ話と言われています。
原話は山形県にあると言われている、民話です。
隣のおじいさんが、悪者で最後はこらしめられる、勧善懲悪のお話です。
近年の子供向けの絵本などでは、最後に正直なおじいさんとおばあさんにとりなしてもらって、牢屋から出られた隣のおじいさんは、自分のしたことを悔いて、改心するパターンもあります。
このお話は、童謡にもなっていて、大変親しまれています。
かわいそうな犬のお話ですが、全体におじいさんとおばあさんの犬への暖かい思いやりが感じられるあたたかいお話です。
まとめ
『はなさかじいさん』の教訓は、物事を行うのは、最初から見返りを期待しすぎると、うまく行かないことがあるという事です。
そして、子育ては、見返りを求めない大切な行動だという事でした。
子育ては、大変な思い出しかないです。
でも、後から考えると、子育てしていた時が一番、生きるという事を感じた時期だったなあと思います。