ごんぎつねのあらすじと教訓!大人になって共感できる事。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
子ぎつね

昔読んだ本を、もう一度読んでみると、子供の時とは違う事を感じたり、全く違う見え方になる事があります。

前に読んだ時にはわからなかった登場人物の気持ちも、そうだったのか・・と納得がいく事もよくあるのです。

ごんぎつねのお話は、子供の時小学校の教科書で読んだ方も多いと思います。

でも、大人になってもう一度読んでみると子供の時読んだ気持ちとはまた違う気持ちで読めるのではないでしょうか?

それでは、ここからは、ごんぎつねのあらすじです。

<スポンサーリンク>

 

ごんぎつねのあらすじ

 
むかし、ある山の中にごんぎつねというきつねがいました。

ごんぎつねはひとりぼっちの子ぎつねです。

そして、村に出てきては、色々ないたずらをしたのです。

2,3日雨が降り続いた後、川の水がいつもより増えていました。

ごんぎつねが川下の方へ歩いて行くと、兵十が川の中に入って仕掛けた網で魚を取っているようです。

兵十はしばらくして、網をすくいあげました。

網の中には太いうなぎや、大きなきすがかかっています。

その魚をびくにいれて、兵十はまた魚をすくいに行ってしまいました。

その様子を草陰から見ていたごんぎつねはいたずらをしたくなり、びくの中から魚を取り出しては、川下のほうへ、ぽんぽん投げ込んだのです。

それを見つけた兵十はごんぎつねを追いかけましたが、ごんぎつねは必死で走って逃げました。

<スポンサーリンク>

何日かたって、ごんぎつねがお百姓さんの家の裏を通ると、村の人達がお葬式の準備をしています。

様子を見ていると、亡くなったのは兵十の母親のようです。

その晩、ごんぎつねは穴の中で「兵十は病気のおっ母のためにうなぎを捕まえようとしたに違いない。けれどもおれがいたずらをして、うなぎを取ってしまった為に、きっと兵十のおっ母はうなぎが食べたいと思いながら死んでしまったんだろう。あんないたずらをしなければ良かった。」と思っていました。

ごんぎつねは、兵十はおっ母が死んでしまったので自分と同じひとりぼっちだと思いました。

ですので、ごんぎつねはいわし屋のかごからいわしを盗んで兵十の家に放り込んであげます。

ごんぎつねは良い事をしたと思っていたのですが、あくる日ごんぎつねが拾った栗を持って兵十の家に行くと、なんと兵十はいわし泥棒に間違われて、いわし屋に殴られて怪我をしていたのです。

ごんはしまったと思い、次の日もその次の日も栗を拾って持って行ったり、松茸を2,3本持って行ったりしました。

ある晩、ごんぎつねが散歩をしていると、兵十と加助が歩いて来て、話しているのが聞こえます。

兵十は、母親が死んでから不思議なことに毎日知らない間に、栗や松茸が置いてあると話し、誰がそんなことをしてくれるかわからないんだと話すと、加助はきっとそれは、神様の仕業に違いないから、毎日神様にお礼を言うといいよと言うのです。

それを聞いたごんぎつねは、おれが栗や松茸を持って行ってやってるのに神様にお礼を言うんじゃあつまらないなと思います。

でもごんぎつねは次の日も栗を持って兵十の家に行きました。

ごんは家の裏口からこっそり中に入ったのです。

物置で縄をなっていた兵十がふと顔をあげると、この間うなぎを盗んだあのきつねが家の中に入って行ったではありませんか。

ですから兵十は火縄銃を持ち、戸口を出ようとするごんをドンとうちました。

すると、土間には栗がたくさんかためて置いてあります。

なので兵十が「ごん、いつも栗をくれたのはお前だったのか!」と言うと、ごんぎつねはぐったりとしながら、うなずきました。

兵十はまだ煙が出ている火縄銃をばたりと落としたのです。

おしまい。
 

ごんぎつねの教訓

 
このお話の教訓は、共感できることです。

ごんぎつねは、お母さんを亡くして一人ぼっちになった兵十を自分と一緒だと思います。

そして、悲しくて寂しいだろうなと思うのです。

ですので、栗や松茸を持って行って、なぐさめようとしました。

ごんぎつねは、自分がひとりぼっちで悲しかったり寂しかったりしたときに、美味しいものを食べたら少しは癒されたのでしょう。

私は、大人になるまで、あまり人に共感できる方ではありませんでした。

友達などがから、話をきいたり、テレビでニュースを観たりして、この人は今寂しいだろうなとか悲しいだろうなと想像はできたのですが、共感はできていなかったのです。

大人になって、自分が悲しかったり寂しかったりした経験をしたからこそ、自分にあった近い経験と、その時の気持ちを思い出し、共感できるような気がします。

反対に、例えば本当に寂しいとか悲しいとかを感じた事のない人に、「寂しかったとか、悲しかった」と言って、どうして一緒にいてくれなかったのかを責めたとしても、その人は「そうだったんだな。」とは思うかもしれませんが、本当に寂しかった人の気持ちになって、次からは気を付けようとは思わないのではないでしょうか?

私は子供の頃に、朝方友達と走りに行くと言って、実は秘密基地で遊んで昼頃家に帰った時、母親に心配したと言ってものすごく怒られた事があったのですが、その時に親を心配させた事はわかったのですが、親がどんな気持ちだったかは、全く理解できませんでした。

でも今は、子供を心配する親の気持ちはわかりますし、それほど怒られた意味も理解できるのです。

そして、この物語の最後を読んで、ズンと重苦しくてどうしようもない気持ちになる方も多いと思います。

それは、実際に同じ経験をしたことがはなかったとしても、「やってしまった・・・自分はなんてことをしてしまったんだろう。」という何とも悲しい後悔という気持ちでは言い表せない思いをしたことがあるからです。

多分私は、このような気持ちは子供の時には読んでもわかりませんでした。

でも今は、自分の経験とその時の感情から、子供の時には感じなかった気持ちに共感することが出来るようになったのです。

大人になってから昔読んだお話をもう一度読む意味がここにあるのかもしれません。

<スポンサーリンク>

 

ごんぎつねの原作

 
1932年に『赤い鳥』に掲載されました。

作者の新美南吉は16歳の時には詩や物語をたくさん書いて雑誌に投稿していたのです。

しかし、29歳で結核で亡くなってしまいます。

子供用に編集されたものでは、ごんが目をつむったままうなずく場面では、「ごんはうれしくなりました。」と書かれているものもあります。

 

まとめ

 
このお話の教訓は共感出来る事です。

共感と言えば最近では緊張している人とか、パニックになりかけていっぱいいっぱいの人のそばにいると、緊張とか、パニックが移ってしまいます。

ですから、仕事で人に教える事があると、いつもならしないようなミスをしてしまったりするのです。

そして、そんな事が何度かあると余計に緊張して、またミスをしてしまいます。

一説では誰かが発散したストレス臭は周りの人にうつるのだそうです。

<スポンサーリンク>
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*