
あなたは、霊やたたりを信じますか?
人には見えるものと、見えないものがあります。
見えないものの中には、人の心や力もあげられます。
人は気がつかないうちに、見えない力であやつられている事があるのです。
耳なし芳一のお話は、他の人には見えない力であやつられる琵琶法師のお話です。
亡者が出てくる怖いお話でもあります。
では、ここからは、耳なし芳一のあらすじです。
耳なし芳一のあらすじ
むかし、平家と源氏が長く戦っていた場所でのお話です。
この地の海や浜辺では昔から平家の怨霊に悩んでいました。
平家の人達の怨霊は船を沈めようとしたり、泳ぐ人たちを海の底に引きずり込もうとしたりするのです。
ですので、亡者たちの霊をなぐさめる為に、阿弥陀時というお寺が建てられ、平家の人達のお墓がたてられました。
すると、平家の人達は前ほどたたりをしなくなりましたが、それでもやはり時々あやしげな事が起こったのです。
鬼火と言われる青白い光がふわふわと飛んでいたり、海の方から合戦の時の、どよめきや叫び声がきこえました。
さて、阿弥陀寺には、源平の物語を語る琵琶法師がすんでいました。
琵琶法師の名前は芳一といい、目が見えません。
芳一の琵琶と語りは素晴らしく、とくに「壇ノ浦のいくさ」の語りを聞くと、涙を流さない者はいなかったのです。
阿弥陀寺の和尚さんは、芳一の技に感心して、芳一を寺に住まわす事にします。
ある蒸し暑い夏の夜、和尚さんは小僧さんと法事に出かけ、芳一は1人で縁側で琵琶の稽古をしていました。
すると、誰かが縁側まで入って来て、芳一の前で止まります。
その人は命令するような口調で「芳一。」と呼び、自分の主君がお供を大勢連れてこの近くに止まっているので、琵琶歌を聞かせに館に来るように言いました。
芳一はその人が武士である事がわかり、背く事は出来ず、手を引かれ、一緒について行きます。
そして、芳一は段々と最初の驚きは薄れ、「もしかして、偉い大名さんに気に入られたら、どんなに楽しい事がまっているかもしれない。」と思ったのです。
やがて、大きな館の門に入り、たくさんの柱の角を曲がり、ついたのは大広間でした。
そこには大勢の偉い人達が集まっている様子で、皆がひそひそと話す言葉はみやびな言葉です。
芳一はみんなの前で琵琶を弾き、声を張り上げて海の戦を語りました。
皆はおののくような長い叫び声をもらし、その後は声をあげて、泣きかなしんだのです。
すると、皆を取り仕切る女の人が、「我が君さまも、大変満足しておられます。たくさんほうびを与えたいのですが、それには6日の間、毎晩琵琶を弾くようにとおっしゃっています。」と芳一に明日も来るように伝えました。
そして、お忍びでこの地に来ているので、この事は誰にも言ってはならないともいったのです。
なので、次の日も、芳一は武士に連れられ、館にきて朝方まで琵琶を弾きました。
すると、和尚さんは目の見えない芳一がどこに行っているか心配して、芳一にたずねましたが、芳一は何もいいません。
ですから、和尚さんは下男たちに芳一を見張るように言いました。
すると、芳一は夜中に寺を抜け出したのですが、下男たちはすぐに見失ってしまったのです。
なので、下男たちは色々尋ね歩くうちに、墓場の方から、むせぶような琵琶の音が聞こえてきました。
墓に行ってみると、雨の中芳一が、安徳天皇の墓の前で座って琵琶を弾いていたのです。
その周りは、たくさんの鬼火が漂っていました。
ですから、下男たちは、「あんたは、たぶらかされているんだ。」と嫌がる芳一を力ずくで連れて帰りました。
その後、和尚さんは芳一にくわしく話すように迫ったので、芳一は和尚さんを心配させた事を反省し、今までの事をすべて話したのです。
すると、和尚さんは「お前は、そのうちに亡者どもに取り殺されてしまう。お前の体にお経を書いて、亡者どもから守ってやろう。」と言い、小僧さんに手伝わして、芳一の体全体にお経の文句を書きました。
そして、和尚さんは「今晩私が出かけたら、また亡者が迎えに来るだろう。でも、どんなことがあっても、動いたり、声を出してはならない。もし動いたりしたら、八つ裂きにされてしまうぞ。」といいます。
そして、また武士がやってきて、芳一を呼んだが返事がなく、姿も見えない。
ですが、武士には琵琶と、芳一の耳だけが見えたのです。
武士は、自分が芳一を迎えに来た証拠に、耳を持って帰る事にし、芳一の耳をもぎ取って帰って行きました。
芳一は顔の両側から、あたたかいどろどろとしたものが流れ落ちるのを感じましたが、手をあげる気力も残っていません。
朝方帰ってきた和尚さんは座禅を組んだまま、血だらけになっている芳一をみつけました。
そして、耳にだけお経を書いていなかった事を謝り、傷の手当てをしたのです。
この出来事で芳一と芳一の琵琶は有名になり、「耳なし芳一」と呼ばれるようになりました。
おしまい。
それでは、このお話の教訓はどんなことなのでしょうか?
耳なし芳一の教訓
このお話の教訓は、人は時によってあやつられて、普段通りの力を発揮出来ない事があるという事です。
芳一は普段から、目が見えない事で他の、耳や鼻や皮膚の感覚が研ぎ澄まされて、周りの様子を把握する力はあったと思われます。
ではどうして、芳一は騙されて亡者に取りつかれてしまったのでしょう。
1つは、夜中であるという事でしょう。
夜、その日一日の疲労で思考力が低下してしまっているのです。
ですから、これは普段であれば、おかしいと思うようなことでも、分析したりせずに、手っ取り早い❝従う❞という考えに偏ってしまうのです。
例えば、夜中のテレビのCMや通販番組ですが、ただ単に広告料金が安いというわけでなく、効果があるのです。
思考能力の低下した中で、商品の良さや、おいしさ、便利さを大げさに話されると、それに抵抗する思考エネルギーが残っていないので、ついつい、そのCMや通販番組に従って買ってしまったりするのです。
それからもう1つは、秘密の心理です。
このお話の中では、芳一はここに来たことを誰にも言わないようにと言われます。
芳一は急に館に連れて来られて最初は驚いてはいたけれども、そのうちに、偉い人に気に入られたら楽しいかも知れないと思うようになります。
そして、実際に、6日間通ったらたくさんご褒美が与えられると言われるのです。
ですので、ここに来ることを秘密にしていたら、ご褒美が与えられると考えます。
そして、不思議なことに秘密を持つことは、秘密を共有したもの同士が親近感が生まれるのです。
なので、芳一はもしかしたら、秘密を共有した人達と、自分の琵琶をほめてくれる人たちの中にいるのは楽しかったのかもしれません。
もう一つの教訓は、見えているのに見えていない事があるという事です。
実際に目で見て、目に入っているはずなのに、頭の中で他の事を考えていたり何か他の事で妨げられたりして、見ている内容が認識できない事があります。
この話の中では、体中にお経を書かれた芳一を迎えにきた武士は本当は見えているのですが、お経が邪魔で芳一の体が見えなくなっているのです。
例えば、文章の中で、大事なことが赤い文字が書かれていたとします。
私の場合は赤の文章だけ読んでいなかったり、読んでいたとしても、内容を覚えてなかったり、頭に入ってなかったりします。
自分で書く場合も大事な事を赤で書いたという事に満足して、覚えていなかったりします。
私の脳が、赤い文字を文字と認識せず、絵か何かと認識しているのかもしれません。
他に例えば、道を歩きながら電話で誰かと話しているとします。
そうすると、パッと横から飛び出して来た物に反応するのがいつもよりも遅くなったりすることがあるのです。
他には、信号が赤になっているのに、気がつかなかったりして、ハッとすることがあります。
歩いている時は速度がゆっくりなので、事故は起きにくいですが、自転車などではとても危険です。
電話で会話に集中している為に、目で見ていても認識できていないのです。
何か考え事をしている時もこれと同じような事になる時があります。
一度に色々な事を考えて、判断して、行動することが得意な人もいるかもしれませんが、私のように得意ではない人は気を付けなければなりません。
反対に見えていないのに見えているという事があります。
芳一は実際には目が見えないけれども、耳や感覚で、わかる事が沢山ありました。
芳一は大広間で人が沢山いる様子とか話し言葉でどんな人達か等がわかったのです。
人が、見えていないのにみえるという事では、他には❝なんとなく❞や❝ひらめき❞や❝勘❞があります。
物事の全容が見えていないからこそ、想像力や脳の力が動いて❝勘❞や❝ひらめき❞が出てくるのでしょう。
人は段々、目でみている物だけに頼りすぎて、元はあった力が発揮されなくなっているのかもしれません。
耳なし芳一の原作
現在の山口県の赤間神宮が舞台のお話と言われている。
小泉八雲の短編小説集『怪談』にとりあげられ、1904年に出版される。
その中には『ろくろ首』も収録されている。
小泉八雲は本名はラフカディオ・ハーンで、ギリシャで生まれ、新聞記者として取材のために日本にやってきます。
まとめ
耳なし芳一の教訓は、人は、あやつられることによって、普段の力を発揮できない事があるという事と、見えているのに見えないものがあるという事です。
昔の怪談では、よく化かされたとか、普通では見えないものが見えたというお話がありますが、見えない力とか、見えないけれども人をあやつる手段があるんだよという事が、見えるものにばかり頼りすぎる私たちへの教訓なのかもしれません。