親指姫のあらすじと教訓。本当の自由を手に入れるには?

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つばめ

子供が小さな頃は、よく絵本を読んであげていました。

まだ絵本をガジガジかじってしまう位の時から、小学生になるころまで・・・

え?かえる?今度はコガネムシ?次はもぐら?

モテモテじゃん!親指姫!

つばめ、元気になってよかったね~

親指姫、優しい^^

王子さまと結婚!

めでたしめでたし。

親指姫を子供に読んであげた時の感想ははこんな感じでした。

この『親指姫』は誰もが一度は聞いたことのある、有名な童話のひとつで、子供が大好きな冒険物語でもあります。

ですが、よく考えてみると、ずいぶん昔、アンデルセンが1835年に発表してから、もう180年も語り継がれているのです。

そんなに長く愛されている理由は一体なんでしょうか?

実は『親指姫』のお話に登場する動物や虫、植物にまでちゃんとそれぞれに意味があったのです。

そして、登場する者たちの意味を知ると、作者が私たちに伝えたかった事が見えてきました。

そのうえ、昔の童話でありながら、現代人にこそ参考になる教訓も隠されていたのです!

今日はその親指姫の隠された意味と教訓について、見ていきたいとおもいます。

まずは、忘れてしまった人から、全然知らない人まで、親指姫のお話しの内容を、おさらいしていきましょう。

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親指姫のあらすじ

あるところに赤ちゃんを欲しいと思っている女の人がいました 。

その女の人は魔女にお金を支払い特別な麦粒を買うのです。

その麦粒を埋めるとあっという間にチューリップのような花のつぼみがつきます。

すると、中には、小さな可愛らしい女の子が座っていました 。

女の人は、親指ほどの大きさしかないこの女の子を親指姫と名付けます。

マザコンなヒキガエルの息子

女の人は、親指姫を大切にし、とても可愛がりました。

そんな時、みにくいヒキガエルがやってきて「息子のお嫁さんにぴったり!」と言って、親指姫をさらって行ってしまいます。

その上、困ったことに、ヒキガエルの母親はお話が出来るのですが、息子は、おしゃべりが不得意なようで、「ゲロゲロ!」としかなかないのです。

そして、親指姫は気味の悪いヒキガエルと一緒に暮らすのが嫌で泣いてしまいました。

その様子を見て、親指姫をかわいそうに思った魚たちが、ヒキガエルがいない間に、親指姫が乗っている葉っぱの茎をかみちぎって逃してあげます 。

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すぐに気がかわってしまったコガネムシ

やっと、ヒキガエルの息子から逃げられたと思ったら、今度はコガネムシに突然つかまれて、空へさらわれるのです。

親指姫を連れ去ったコガネムシは親指姫の事を最初はかわいいと言い、事実、そう思っているようでした。

でも、メスのコガネムシ達は口を揃えて、親指姫の事を、自分達と形が違うことを理由に「みっともない!」とか、「みすぼらしい!」とけなすのです。

そのうちに、親指姫を連れてきたコガネムシも、段々みんなの言う通りな気がして来て、親指姫のことなんかどうでもよくなって、親指姫を捨ててしまいました。

地下にくらす裕福なもぐら

捨てられた親指姫は、草でベッドを編んで、葉っぱにたまった朝露を飲んだり、花の蜜を絞って食べました。

そんな方法は、誰にも教えてもらったことはないけれども、どうにか生きていくために、知恵をしぼり、工夫をして、夏の間生活します。

夏の間なんとか1人で暮らしていた親指姫も、冬になると凍えて飢死しそうになりました。

そしてたどり着いた家の、年老いた野ねずみに助けてもらい、暖かい家の中で食べるものをもらって、悪くない暮らしをします。

その野ねずみの家の隣にはもぐらが住んでいました。

野ねずみは、もぐらの事を頭が良くお金持ちなので、とても尊敬しているのです。

そして、野ねずみともぐらの家の間に掘られたトンネルがあります。

そこには、傷ついたつばめが横たわったままになっていたのです。

暖かい所に飛んでいく途中で羽を傷つけてしまって、地面に埋もれてしまいます。

優しい親指姫は、つばめが死んでしまったと思っていたにもかかわらず、やわらかい綿を体の下に敷いてあげました。

そうするうちに、つばめは体が暖かくなって具合が良くなり、目を覚ましたのです。

それからも親指姫は、春になってつばめが飛び立てるようになるまで熱心に看病し、面倒をみます。

その後、元気になったつばめが親指姫に「一緒においで、遠い緑の森へ連れて行くよ」と言ったのに、自分が出て行ってしまうと野ねずみが悲しむだろうと、つばめについて行くことは出来ませんでした。

そんな頃、となりの裕福なもぐらが親指姫に求婚します。

でも親指姫はもぐらのことがどうしても好きになれませんでした。

なぜかと言うと、もぐらは眼が悪いために、外の世界に出られず、みたこともないお日様の光と美しい花々の悪口ばかり言っています。

それに、何よりも、結婚して地下深くのもぐらの家に行ったら、もう二度とお日様の光にあたることは出来ないことが悲しかったのです。

つばめとの旅立ち

とうとうもぐらとの婚礼の日がやって来て、親指姫は、最後に外に出てお日様にさよならを言い、泣きながら、花を抱きしめました。

すると、空からあのつばめが飛んで来たのです。

親指姫はもぐらと結婚するのが嫌なこと、もうお日様を見られない事をつばめに話しました。

つばめは「暖かい国へ一緒に行こう!今度は僕が助ける!」と言い、親指姫は今度こそつばめと一緒に行く事をきめます。

美しい森の美しい王子さま

それから、親指姫はつばめの背中に乗せてもらって、森や川や雪の残る山を越えて、南の国も超えていきました。

そして、親指姫は、つばめに連れて行ってもらった美しい森のお花畑で、花の精の王子さまに出会います。

親指姫は花の真ん中に座っている自分と同じくらいの背たけの男の人に、最初はびっくりしましたが、すぐに大好きになったのです。

ですから、王子さまのプロポーズをすぐにOKして、女王になる事に決めました。

親指姫の新しい名前

親指姫はお祝いに『大きな白いハエの美しいはね』を贈られ、それを背中につけると他の精たちと同じように飛べるようになったのです。

それから王子さまは親指姫の事を<マイア>と呼ぶことにしました。

〈マイア〉という名前は、神話に出てくる春の季節の、穀物の実りを司る女神の名前です。

そして親指姫と王子さまは周りの花の精に祝福され、幸せになりました。

めでたし、めでたし。

では、作者がこのお話で本当に伝えたかった事とはなんだったのでしょうか?

かえる

親指姫の教訓

このお話の教訓とは、自分を信じ、自分で物事を判断する力を手に入れれば、本当の意味での自由になることができるということです。

では、お話に登場する動物たちにどんな意味があり、親指姫がその動物たちからの試練を乗り越えることが、どういう意味をもっていたのか、考えてみることにします。

まず、多胎と子宝の象徴のカエルに誘拐され、「ゲロゲロ」としか泣かない息子と結婚させられそうになります。

この鳴き声は原作ではもっと長く、古いギリシャ喜劇『蛙』の合唱隊で歌われた蛙の合唱の歌詞をそのまま文字で起こしているのです。

喜劇のなかで船をこぐときにリズムをとるために歌われていた歌で、全く意味がない言葉だと思われます。

このかえるの息子は親指姫ときちんと話をしようともせず、どうでもいいことを言ってごまかし、ただ早く親指姫を手に入れたいと思っていたのでしょう。

次に親指姫はコガネムシにさらわれますが、コガネムシというのは七色に光る、色がころころと変わる、人の意見に惑わされるものの象徴です。

最初は親指姫をかわいいと思いますが、周りの仲間が親指姫の事を見た目が「みっともない」、「みすぼらしい」とけなすのを聞いて親指姫の事なんかどうでもよくなり、親指姫を捨ててしまいます。

その次はもぐらです。

もぐらは地下に住む、闇の王さまとも言える動物で、頭が良く、裕福ですが、視野がせまく、狭い世界の中で他の者を洗脳して自分の思う通りに支配しようとするのです。

そして親指姫を地下に連れて行き、自分だけのお嫁さんにしたいと考えます。

そんな状況から救い出してくれたのはつばめでした。

親指姫はお世話になった野ねずみに逆らってまで結婚を断ることが出来ずにいましたが、つばめがもう一度、戻ってきてくれた事で、「もう今しかチャンスはない」と思って出ていく事を決意できたのですね。

つばめは普通では行き来できない世界へ、人や物を運ぶことが出来る不思議な鳥とも言われ、親指姫のいた閉ざされた所から開かれた世界へ連れて行ってくれたのでしょう。

それから、親指姫は自分自身で花畑の中のひとつの大きな白い花を選び、つばめに下してもらいました。

そこで偶然に花の精の王子さまに出会います。

そして、初めて自分から好きになり、自分から望んで花の精の王子さまと結婚しました。

親指姫は

・こうあるべきだという常識や固定観念(このお話しでは、子供を産むこと)

・他人の意見に左右される事(コガネムシの変わり気)

・自分がどう見られるかを気にする事(コガネムシのメスからの見た目に対する嘲笑)

・権力やお金による支配に影響される事(もぐらのとの結婚を強要されること)

から最後には自由になったのでしょう。

要するに、本当の意味の自由とは、ただ、何かから逃げて体や時間が自由になる事ではなく、常識や、固定観念や、他人の意見や権力では揺るがない、自分を信じる力を持つことだという事です。

例えば、有名な大会社で働いていて充分すぎる位のお給料をもらっていた人がいるとします。

でも、この人はその会社の上司にいつもプレッシャーをかけられ、そのことがストレスになっている。としたらそれはお金がいくらあっても自由ではないですよね。

そこで、考え方を少し変えて、その上司のプレッシャーを、自分の成長のために言ってくれていると少しでも思えてきたら、これは少し自由になるかもしれない。

ですが、そう言う風に考えられるようになるには、自分の事を信じられないとダメですよね。

他には例えば、年配のお客様はアパレルの店員に言うのです。

「私はこんなに年寄りだから、あまり派手な服を着られない」

・・それは誰かが「年寄りが派手な服を着るのはおかしい。」と言ったのではなくて、きっと思い込みもあって、派手な服を着ると居心地が悪いのでしょう。

それは固定観念や他人の目に自分がどう映るかに縛られていることで、これも自由ではないですね。

でも実は、〈年配の方は昔は似合っていたような、くすんだ色を着るよりも、明るめの色を着た方が顔移りがよくなって、肌の色もきれいに見えますよ〉ってことが分かれば、これからは躊躇せず、どんな色でも挑戦できるかもしれない。

これも自由と言えますよね。

この例もそうですが、自分に全く自信がなく、〈明るい色も似あうよ〉という事も信じられなければ自由にはなれません。

わかりやすく言うと、

    自分を信じられる
       ↓
    自分で判断、決断できる。
       ↓
    自由になれる。

という事です。

本当の自由を手に入れることはなかなか難しいですね。

それとは反対に、ちょっとした考え方で手に入れられる自由もあるということではないでしょうか?

それから、最後に疑問がひとつ。

親指姫は最後にハエの美しい羽根をもらって飛び回れるようになったのですが、どうしてハエの羽なのか?

もっと丈夫で遠くまで飛べる羽でもよかったのではと疑問に思っていましたが、やっとわかった気がします。

親指姫には他人が自分をどう見るかは考える必要がなく、本当の自由を手に入れたので、又どこかに逃げ出す必要もないのです。

ですから、そんなに美しくはないけれども、隣の花へ飛んでいける位の、ハエの羽根で十分だったのでしょう。

さて、この親指姫を書いた作者はどんな人だったのでしょう?

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親指姫の原作

デンマークの作家アンデルセンが40年書き続けて出来上がった「お話と物語」が原作です。

最初は「子供のためのお話」だったそうですが、大人にも人気が出て読まれるようになったので、「子供のための」を取ってしまいました。

親指姫は1835年に発表された『アンデルセンの童話集 第2集』に収録されています。

作者のアンデルセンは貧しい家庭に生まれ、父親が亡くなり、若い時は大変苦労したようです。そのやるせなさを童話にしていたのです。

また、アンデルセン自身はあまり女性に縁がなく、振られてばかりいました。そのため生涯独身で通しました。

容姿にも原因があるかもしれないですが、とても引っ込み思案だったのです。

まとめ

自由とは自分の中にあるものです。

周りの環境に関係なく、自信によって得られるものなのです。

常識や固定観念や他人の意見や権力には揺るがない、自分を信じる力を持つことです。

自由と言えば、子供がまだ小さな頃に、家事と育児に追われて耐えられなくなり、何度かプチ家出を計画しましたが、子供の事や、電車代と宿泊代、帰ってきた時のたまった家事の事を考えて思いとどまりました。

それでも、一瞬でもどこに行って何をしようとか、ひとりで何を食べようとか、考えただけで少し気持ちが晴れた事を思い出しました。

実際に、プチ家出こそしませんが、いまでも時々ふらりとどこかに行きたくなる今日この頃です。私の自由を求める旅はまだまだ続きそうです。

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