
私は『みにくいアヒルの子』のお話を甘くみていました・・・
子供たちはこのリアルで辛いこのお話を読んでどう思うのでしょう?
いじめられてかわいそう!
さむそう!
友達がいなくてさびしそう!でしょうか?
本当に、アヒルの子の声にならない悲鳴が聞こえそうな位の、悲しい場面がたくさんあります。
でもそれだけではない、世の中で生きていくのに、当然わかっているようですが、実はなかなか難しい基本的で大事な事が書かれていました。
それではまず、あらすじから見ていく事にしましょう。
目次
みにくいアヒルの子のあらすじ
みにくいアヒルの子、アヒルの家に生まれる
夏の暑い日、あひるのお母さんが巣を作って、たまごをかえそうと頑張っていました。
そうするうちに、他の卵はかえったのですが、いちばん大きな卵がかえっていません。
そして、やっと最後の卵がかえったと思ったら大きくってみっともない灰色のひなだったのです。
でも、このひなは、みんなと同じように上手に泳ぎましたので 、一緒に育てる事にしました。
しかし、このみにくいアヒルの子はアヒルの仲間からも、他の動物からもいじめられるのです。
それはだんだんとひどくなり、あひるのおかあさんまでもが、「せめて、遠くに行ってくれたら・・・」と言います。
ですので、アヒルの子は我慢できなくなって、逃げ出して大きな沼にたどりつきました。
農家の分からず屋達
野がも達はアヒルの子を見て、「みっともないやつだなあ、」と言います。
でも、アヒルの子はただ、沼の水を飲ませてもらって、眠りさえできたら良かったのです。
しかしそこへ猟師たちがやってきて、他の鳥たちを撃ち始めました。
アヒルの子は怖くて立ち上がれず、何時間も経ってからやっと、沼のそとへ逃げ出します。
すると、1件のみすぼらしい農家にたどり着くのです。
このうちには猫とにわとりとおばあさんが暮らしていました。
この猫は背中を丸くしたり、のどをごろごろならしたり、火花を散らす事ができます。
おばあさんはこの猫の事をとても可愛がっていて、そしてこのにわとりはよい卵を産むのでおばあさんはとても大事にしているのでした。
おばあさんは、目が悪いので、アヒルの子を太った迷子のアヒルと勘違いしました。
ですので、卵を産むかもしれないと試しに飼う事にするのです。
そして、にわとりは猫が一番りこうで、飼い主のおばあさんは一番賢い人だと思っていましたから、アヒルの子が何か言おうとすると、ちっとも聞こうともしませんでした。
そして、「あなたは、卵を産めるの?」と言います。
猫は「君は背中を丸めたり、のどを鳴らしたり、火花を散らしたりできるかい?できないなら、口出しするな!」と叱るのです。
ある日アヒルの子は、「水の上を泳ぎたい」と言い出すと、にわとりに「あなたは黙って卵を産んだり、のどを鳴らしたり、火花を散らすけいこでもしなさい!」といわれました。
でも、アヒルの子は「僕はどうしても広い世になかに出ていきたい!」と農家をとびだします。
恐ろしい冬
そうして、アヒルの子は思いっきり水の上を泳いだり、もぐったりしました。
秋になったある夕方、白鳥の群れが飛び立っていくのをみるのです。
アヒルの子は、自分でも怖くなるような、たかい不思議な声をたてました。
白鳥が見えなくなってしまうと、アヒルの子は気が狂いそうだったのです。
あの鳥の名前もどこへ行ったかもわかりませんが、あの鳥たちがたまらなく慕わしくおもえました。
そして冬がおとずれ、アヒルの子は水が凍らないようにずっと、泳ぎ続けていなければなりません。
しかし、とうとう、疲れ切って動けなくなり、氷の中にとじこめられてしまうのです。
次の朝お百姓さんに、氷を割ってもらって助けられ、息をふきかえします。
それからは、アヒルの子は雪が降った草むらに、じっとうずくまって、冬の間耐えていました。
憧れの白鳥
さて、お日様がポカポカと照り始めて春がおとずれました。
アヒルの子はさっと翼をひろげてみます。
そうすると、体が空へもちあがり、自分でも知らないうちにおおきな庭に来ていたのです。
すると茂みの中からいきなり、白鳥が3羽現れました。
そして、アヒルの子はあの神々しい鳥の事を覚えているのです。
「ぼくは、あの鳥のところに飛んでいこう!みにくい僕が近づいていったらころされるかも知れない。でも、今までいじめられた事と、冬の間のみじめさに比べたらずっとましだ!」とそう決心しました。
そして、白鳥の近くに飛んで行って、「どうか、ころしてください」と言います。
そのとき水面に白鳥の姿になった自分が映っているのです。
おおきな白鳥達は、くちばしで体をなでてくれます。
白鳥はそれはそれは幸せでした。
白鳥は今までどんなに追いかけられたり、ばかにされたり、辛い目にあったか思い出していました。
「みにくいアヒルの子だったときは、こんな多くの幸せがあると夢にも思わなかった。」
おしまい。
それでは、当たり前ですが難しい、みにくいアヒルの子の教訓を見ていきましょう!
みにくいアヒルの子の教訓
みにくいアヒルの子は、見た目が美しく変わったから仲間に受け入れられたのでしょうか?
それは違います。
もともとみにくいアヒルの子であろうが、白鳥であろうがその存在自体は変わっていないのだから、その子はその子なのです。
アヒルの子は、最初は、周りに〈みにくい、みっともない〉と言われて、「自分は周りと違うんだ。受け入れてもらえないんだ。」と思い込んで自分から壁を作ってしまっています。
自分はみんなと違うから受け入れてもらえないんだと思って、卑屈になっている者がいくら、『あの仲間に入れてもらえたらうれしいなあ。』とか、『自分の事をわかってほしいなあ』と思っても、自分から相手の事をわかろうとせず、自分の事もわかってもらう努力をしなければ、受け入れてもらえるはずはありません。
自分から心を開いて相手の中に飛び込んでいく勇気があれば、自分が本当に望めば、受け入れてもらえるはずです。
みにくいとかみっともないとか、他の人と違うとか、そんなことは全然関係ありません。
ただの見た目なのです。
美しくなって、見た目が変わったという事は、ただ自分で自分を受け入れて、勇気を出すきっかけになったに過ぎません。
自分で自分を受け入れる
↓
自分の存在価値を認める
要するに、私たちは皆、自分を受け入れて、自分の存在そのものに価値があることを認識しなければなりません。
そして、周りの人は、その人が存在するだけで価値がある事を認めなければなりません。
例えば、私の姉は私とは全く違い、とても外交的で、中学高校と生徒会に入り運動部の部長をするような人です。
私は、特にそういわれた事はないですが、いつも比べられているようで、実家の居心地はあまりよくありませんでした。
でもありがたいことに、私を認めてくれる良い相方にめぐりあい、私は私であって、他の誰とも代われないという事が身に染みて良くわかるようになったのです。
やっと私は、自分がそうしたいと思う生活をしながら、そこに存在するだけでいいんだ。という事に気がつきました。
このお話の中では、おばあさんの農家で、にわとりや猫は、卵を産んだり、のどをごろごろ鳴らしたりして、何かおばあさんの役に立ったり、喜ばす事ができなければ価値がなく、存在できないという世界でした。
その他にも、例えば家庭で、母親が自分の子に遊ばないで勉強をしなさいと言います。
その子は、いい成績をとるとおかあさんに叱られることはなく、お母さんが喜ぶので、友達も作らず勉強ばかりするのです。
もちろん、勉強は大事ですが、その子が本当にしたいことは何なのでしょうか?
その子は一生、自分がいったい本当は何がしたいのかわからず、考えた事もなく、大人になります。
おかあさんがいなくなったらその子はどうすればいいのでしょうか?
今までお母さんの言う通りに生きて来たのに・・・
とても悲しい事になってしまうでしょう。
そこに存在するために何か役に立たなければいけないという事は、子供も大人も考えがちです。
でも、本来なら、存在している事そのものを認められなければならないはずなのです。
そして自分でも自分が存在している事そのものの価値を認めなければなりません。
当たり前の事のようですが、本当に難しいことです。
そして、もうひとつ、農家の家のにわとりは、どうしても広い世の中に出ていきたいと言って口答えするアヒルの子に「あなたはとにかく、卵を産んだり、のどを鳴らす稽古でもしていればいいのよ!」というのです。
狭い世界の中で、あなたはこの程度の者で、この程度の事をしていればいいの。と言うのは間違っています。
その人の可能性はその人だけの物で誰にも何も言う権利はありません。
例えば勝手に「私の子だからこの程度だろう」とか、「そんな大きな事ができるはずがない」と決めてしまうのは、間違いです。
その人の可能性をどこまでも信じてあげられるようにならなければいけません。
さて、作者・アンデルセンは、どんな事を思って、この物語を書いたのでしょうか?
みにくいアヒルの子の原作
みにくいアヒルの子はデンマークの童話作家・ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1843年に発表しました。
1931年、1939年に、にディズニー映画になりました。
アンデルセンは、容姿のコンプレックスがあり、若いときに孤独だったので、人付き合いが苦手だったようです。
そんな自分に照らし合わせて、みにくいアヒルの子を描いたのでしょうか?
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まとめ
みにくいアヒルの子の教訓は、自分を受け入れ、自分が存在している事そのものの価値を認める事の大切さ。です。
そして、周りの人は、その人が存在するだけで価値がある事をみとめなければなりません。
これは、当たり前の事ですが、忙しさに紛れて日々過ごしていると、自分の事や、周りの人を大切にすることが難しくなることがあります。
時々立ち止まって、考えなければいけないと思いました。